8/14広島戦で大逆転負け
火水木の広島三連戦。珍しく初戦で勝ったんだけど、二連敗で負け越し。今日なんか、7回表の段階で6-2で勝ってたのに逆転された。と、まあ相変わらず試合に関して書くのは無意味なので前回の続き。
大人社会が少年少女に健全なメッセージを発することができないから、猟奇殺人起こす子供も出てくる、ってなことを書いたんだけど、今年の巨人はそんな大人社会の情けなさを端的に見せ付けちゃってる。というこれが結論なわけ。
「より良い学校に入ってより良い企業に入れば幸せになれる」と社会は子供たちにメッセージしてきたんだけど、それはお勉強ができる子は大蔵省や第一勧銀に入れば立派な人生を送れるよ、ってことだった。で、お勉強よりスポーツが得意な子はどうすればよかったかと言うと、巨人に入ればよかったわけ。そうすれば、考えようによってはお勉強できる子たちよりも立派な人生を送れたわけ。さらに巨人は、「より良い企業に入って」がんばる男たちのリポビタンDでもあった。より良い企業で幸せするのもなかなか大変だなあ、と汗を拭きながら帰宅してテレビをつけると長嶋以下、巨人選手たちが頑張ってる。いやあ、チョーさんがんばってるなあ、おいらも負けずにがんばるぞ。で、翌日また仕事に打ち込めた。巨人はスポーツマンな子の目標であったばかりか、幸せをめざすすべての男たちの精神的な支えでもあったわけだ。
面白いことに、昔は巨人に入るのに近道なんてなかったんだけど、ある時期からはPLなど高校野球のエリート校に入る、という近道ができてきた。(実際、いまのプロ野球界でのPL出身者の比率ってすごいんだぜ)同じように、昔は東大に入る近道なんてなかったのに、ある時期から一部の中高一貫教育の私立校という近道ができた。要するに、巨人と一流企業はことほどさように相似形なわけ。
そう考えると、第一勧銀という一流企業のトップが軒並み逮捕されたり自殺者出したりしたのと、巨人のこの情けなさが、今年同時進行してるっていうのはものすごくナルホド感があるでしょ。しかもまた面白いのが、どちらも失敗の小道具が「おカネ」なの。第一勧銀は総会屋に「なんでそんなに渡すの?」というような額を渡しちゃった。巨人は何人かの大砲に「なんでそんなに渡すの?」てな額を渡しちゃった。妙に似てる。巨人は日本の企業の鏡なんだな。
「おカネ」を軸にすると、巨人は援助交際に走る女子高生とも相似形だとわかる。彼女たちは大人社会が押し付ける「こう生きろ」にシラけちゃって援助交際すると思うんだけど、「こう生きろ」にはシラけてもどう生きるかはわかんないし、考えるのもメンドクサイ。ただひとつ、明確に見えるのは「おカネ」。おカネがあればシャネルも買えるしぃ、旅行とかできるしぃ。巨人も同じ。どう生きるべきかがわかんなくて考えるのもメンドくさくて、じゃあおカネ使ってぇ、清原とかぁ、外国人もいいかなぁ、みたいなぁ。おカネは目標達成のための手段にはなりえるけど、それ自体は何も解決してくれないのにね。
だから、援助交際の女子高生に腹を立てる人は、巨人にも腹を立てなきゃダメだ。援助交際は許せんが、巨人がカネにモノを言わせて補強するのは勝つためにはいいのだ、とか言ってると、女子高生になんかぁ、矛盾してるっていうかぁ、と指摘されるぞ。
そしてまた、酒鬼薔薇事件に衝撃を受けたなら、中学生たちがあんな犯罪を起こすのを少しでも止めたいなら、巨人ファンは巨人を批判しないといけない。それはまちがいだ!と叫ばなければいけない。別に、新聞に投書するとかしなくてもいい。親戚縁者に中学生なんていなくたっていい。あなたがまちがいだと思ったことを、まちがいだ!と誰かに言えばいい。子供たちは大人たちの気づかないところで、きっと大人を見つめているから。そしてそれは、少なからず彼らの価値観に影響を与えるはずだから。
さらに言うと、酒鬼薔薇事件といまの巨人のテイタラクはぼくたちに強烈にある問題を突き付けている。ぼくたちはまちがっていたんだ。少なくとも、いままでの「こう生きろ」はもう通用しない。「より良い組織に入る」ことはぼくたちを幸せにはしない。子供たちにももう押し付けちゃいけない。じゃあどう生きればいいのか?そして子供たちに、どう生きろと伝えればいいのか?答えはない。それはぼくのこれからの問題であり、あなたのこれからの問題だ。
ただひとつ、子供たちにこれだけは自信を持って言える。「より良い組織に入れば幸せになれる、なんて思うな。それはもはや、間違いだから。いまの巨人を見ればわかるだろう」
8/8〜10の中日三連戦でも3タテを食らい、巨人はもうズタボロ。いちいち試合内容について書くのも無意味化してきたので、7月6日に「そのうち書こうっと」と記した、酒鬼薔薇事件と巨人の関係について考えてみようと思う。
酒鬼薔薇がなぜあんなことしたのか。本人や家族や学校や地域を思いっきり棚に上げると、社会にその責任と原因があるわけで。じゃあ社会が何をしたのかって言うと、社会が彼に何もしてあげられなかったことが原因だという、逆説的な結論になる。
健全な社会は、少年少女に「こう生きろ」をメッセージできると思うわけ。そのメッセージはニュースとかドラマとか小説とかスポーツとか、あらゆる情報によって媒介されている。すべての情報は多かれ少なかれ「こう生きろ」という価値観をベースにしていたりする。
これまでの日本の場合、「こう生きろ」の「こう」の中身は「より良い組織に入って頑張れば幸せになれるんだからがんばれ」だったと思うんだ。それが正しかったかどうかは別にして、少なくともついこないだまでは、社会全体にとってはプラスに働くメッセージだった(だから短期的には正しかったわけか)。事実としても「より良い高校に行って、より良い大学に入り、より良い企業に就職すれば、幸せになれた」わけ。その幸せの中身は「経済的に安定した生活」に過ぎないんだけど。
ところがここ数年、典型的にはバブルがはじけたことのように、いままでの「こう生きろ」がなんだかまちがいだったぞ、ってことになりはじめている。「より良い企業」に入っても、リストラされちゃうかもしれないし、偉くなっても汚職その他で捕まったり、もうぜんぜん幸せじゃないじゃんってコトになっちゃってる。だからといって、今までとはちがう「こう生きろ」はまだできてないわけ。少年少女に限らず、「ぼくたちどう生きたらいいの?」っていう疑問で、世の中全体が悩んでる。
悩んでるくせに、少年少女には相変わらずいままでの「こう生きろ」が呪文のように発せられる。「いい大学入ったって幸せになれそうには思えない」と思っても、「とにかく勉強していい大学目指しなさい」としか大人たちは子供に言えないの。中学生は悩むよね。大人の言ってることの矛盾が見え見え。だからといっていま自分が乗っかってるシステムから逃げようはない。生き地獄だよ。そりゃイジメもすれば、援助交際だって猟奇殺人だって、やりたくもなるだろ。
酒鬼薔薇は同世代の子供たちと比べると、早熟というか、けっこういろんなこと考えてたと思う。でも社会は彼に何もしてあげられなかった。そればかりか、阪神大震災への情けない応対などで徹底的な絶望感を植え付けていった。その「情けない応対」ってとこと、いまの巨人の姿がリンクしてくるわけだけど、それはまた次回に続くってことで。
今日はやっと勝った。やっと勝ったけど、阪神との三連戦は負け越し。負け越しというか、もう取り返しのつかない負け方を昨日した。13-3というスコアもスコアなんだけど、得点差以上のひどい負け方だった。
ぼくはこうやってブツクサ文句書いてるけど、でも試合は真剣に見続けてきた。今年に限らず、仕事や家庭の事情が関与しないかぎり、シーズン中は家にいればテレビ中継を見てきたし、中継が途中で終わればラジオをつけて聞いてた。で、試合の結果が見えてても、途中でやめたりしなかった。よく、負けてると途中でテレビ消しちゃう人がいるらしいけど、ぼくはそんなこと絶対にしなかった。それは義務でやって来たというより、そうしたかったからそうしてきた。負けるなら負けるで、どう負けるのかを見届けたかったから。
でも昨日はもう見てられなかった。8回裏に、一挙に5点くらい入れられた時点でテレビを消して買い物に出掛けた。30分くらいして戻ってきたらまだ試合が続いていて驚いた。点差を見てまたテレビを消した。
1回に10点という大量点入れられたのが見てられなかったんじゃなく、点のとられ方がもうひどかったもん。あれはホント、阪神が点を取ったんじゃなくて、巨人が勝手に点を失ってたんだ。阪神ファンは怒るだろうけど、ぼくはそう感じた。
ニュース番組で時々、偶然撮影した死体の映像をこれ見よがしに見せたりするけど、ぼくはそんな時目をそむける。それとおんなじ気分だった。悲惨。何もそんな場面をわざわざテレビで放送しなくても。そんなかんじ。次の日も巨人に野球やれって言うのか。もうほっといてやれ。そんなかんじ。
去年の日本シリーズでオリックスに負けたとき、これが巨人時代の終焉の瞬間か?と感じたんだけど、あれはたぶん正確に言うと、「終わりのはじまり」だったんだ。で、今シーズンが幕を閉じるとき、それが巨人の「終わりのおしまい」。今年、巨人は30億円補強して、それは失敗でしたね、で来年はやはり若手中心でやり直し、ではなく、失敗でしたからおしまいですね巨人も、だったんだ。
60数年間、プロ野球の中心として歴史を刻んできた巨人の落日に、今年、ぼくたちは立ち会っているんだ。
このページは本当は伝言板みたいにして、巨人ファンの意見を募りたいところなんだけど、ぼくはまだ「伝言板」の作り方を知らない。だからせめて、メールちょうだい。