「ショーシャンクの空に」99/12/11

〜淡々と、でもぐいぐい引っぱる物語〜

独断価格:3800円

久々に立て続けに映画館に行ったら面白かったんで、こちらも久々にビデオを借りて見た。スティーヴン・キング原作の映画の中ではなかなかいい、とどこかで聞いたんでなにげに借りたらすんごくよかった。

1947年。不倫した妻を殺して終身刑でショーシャンク刑務所に投獄された青年(ティム・ロビンス)。若くして銀行の副頭取だった男は、刑務所でも異彩を放つ。彼を興味の目で見つめていた通称「調達屋」の服役囚(モーガン・フリーマン)は徐々に彼と打ち解けていく。

この映画が不思議なのは、物語の向かう先がなかなか見えないことだ。脱獄の話かと思うと、ぜんぜんそんな様子はない。刑務所内でのいじめや友情など人間関係の物語かと思えば、なぜか小さなコミュニティでの出世物語の様相を呈したりする。様々のカタチで飽きさせずにエピソードを積み重ねながら、あっという間に19年の月日が過ぎる。

終始、淡々と映画は進むんだけど、でもぐいぐい見る者の目を惹き付ける。そしていつのまにか、淡々と見せられていたすべてのエピソードがある地点へ向けての伏線だったことがわかってきて、物語が本当に向かっていたゴールが見えてくるのだ。えー!実はこういう物語だったのー!?ってね。

この淡々とした、それでいて明確な目標を実は持っている物語の性質は、そのまま「調達屋」が見つめる青年のキャラクターと一致する。何を考えているかわからない。何をしたいのか見えてこない。でもなんだか魅力的。そして、実は19年間、ちゃーんとある目的のために進んでいた。シブい!カッコいい!

ある意味でこれはどんでん返しの物語なんだけど、それをこれ見よがしにひけらかさないトーンがなんとも魅力的なんだ。

ティム・ロビンスとモーガン・フリーマンは二人ともとても好きな役者なので、そのこともうれしかった。とくにティム・ロビンスはお気に入りでね。あの、わりとベビー・フェイスなのにやたら背が高くてぬぼーっとした感じが、好きなんだな。

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「マトリックス」
99/12/3

〜カッコいい!カッコいい!カッコいい!〜

独断価格:4000円

世の中の盛り上がりが鎮まってからになってしまった「マトリックス」。いやなにせ、事務所開設ですっかり映画館とご無沙汰だったしね。まーでも、例によって予告編で見た映像でおしまい!てな最近のハリウッド大作だろ、期待すんなよな。とは言え、「バウンド」のウォシャウスキー兄弟だしな、期待できるかな?そんな気持ちで見に行ったら、なによこれ、カッコいいよ。

現実はひょっとして虚構?という、最近の映画を見回しても「トゥルーマンショー」「ダークシティ」なんかにもあるありがちな設定。でもP.K.ディックのファンとしては、ありがちというよりスタンダードな設定だと言いたくなる。

そのスタンダードな設定は、コンピュータや電話線とからみあうことで、いきなりイマな設定に見えてしまう。

さらにそれにカンフーアクションやエナメルコートをまとった人物達のマシンガンぶっ放し、キリスト教的なモチーフや、東洋哲学的な修業などがからみあい、とにかくいまおもろいもん、気になるもんを何でもぶちこんで煮詰めた、けっこう無茶苦茶な映画になっている。

最後に「愛」が救いになるところとか、けっこう「フィフスエレメント」にどこか似てる気もしてくるけど、ちっとも似てないのはなぜだろう。

それはやっぱりこの映画の持つ東洋哲学な臭いだと思うんだよね。こっちの方がストイックだしね。あっちはカラフルでこっちはモノクロ基調、とかね。個人的にはこの映画は「悟り」に至る物語だと思うんだよね。「葉隠」とかさ。何言ってんだ、おれ。


商品価格:4000円

この映画はもう興行12週を過ぎているうえ、まだまだお客さんが入っている。まあ大ヒットだよね。そりゃあね、この映画は予告編見たら絶対見たくなるもん。すんごいカッコいい、オリジナリティある映像だからね。

やっぱりさあ、人は映画を見ようかなって時に、何を見たがるのかっていえば、他ならぬ「映画」を見たいんだよね。で、この映画くらい「見たこともない映画じゃん!」って映像だと、もう「映画」なわけで。別に「現実か虚構かという設定」なんて説明はいらないと。

そして、この映画はいま人々がふらふら〜と引き寄せられちゃういろんなものを詰め込んでる。現実か?虚構か?という映画が最近いっぱいあるわけだけど、そういう映画が作られてしまうのはそういう感覚をいまみんなが持ってるからだ。この物語は表面上はそうしたバーチャルな感覚に警告を発しているととれる。虚構と戦い現実の自由を勝ち取ろうとする物語だからね。でも、本当はぼくたちはネットやゲームで現実と虚構の間をさ迷うことを楽しんでいて、この映画がそうした感覚を2時間に凝縮している点に惹き付けられてしまうんだ。だからこの映画は現実と虚構の間の感覚をマヒさせるいけない映画だってことでもない。ぼくたちのイマはそうなんだ、と提示しているんだ。

よく言われるように、この映画は明らかに日本のアニメの影響を受けていると思う。「マトリックス」と肩を並べるくらいの世界をアニメは描いている。問題は、なぜ実写の映画でそれができないか。それは予算の問題よりもむしろ、日本の映画界が抱えている旧態依然たるシステムの問題だとぼくは思う。思うというより、広告の仕事で日本映画界と接していて、そう感じている。そしてまた、旧システムがもうすぐ壊れ、新しい動き、実写で「マトリックス」ができちゃいそうな気配も、また感じている。ホントだよ。もうちょい先だけど、ね。

そうそう。この映画はホームページも話題だった。これはぼくも、本編を観るよりずいぶん前にアクセスしてみたんだけど、実際、すっごく充実した、仕掛けも多い、カッコいいページだった。こういうとこも、ハリウッドは進んでるなー。

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「シックス・センス」
99/11/23

〜秘密にしてね、で大ヒット〜

独断価格:2400円

ある仕事のチームで打合せの際に「シックスセンス見た?」という話になった。見てないのおれだけ。「あ、じゃあ話できないね。境さん早く見てよ」と言われた。打合せするたんびに。「見てない人には絶対に言っちゃいけないんだよねー」なんつってみんなで盛り上がってる。なんだか悔しい。がぜん見たくなって、ある日、遠方で撮影があり、その前ならなんとか見られると勇んで行ったら時間まちがえててみれなかった。さらに別の日、祝日ながら撮影が恵比寿であったんで、その後渋谷に行った。4時半の回を見るつもりで走ってギリギリ間に合ったら、立ち見と言われ、指定席も売り切れ。しかたなく7時の回の指定を確保して時間潰してやっと見た。考えてみれば、2ヶ月ぶりの映画館。10月に事務所開設して以来、毎日バタバタだったからね。

予告編が終って本編がはじまる前に、字幕が出て、「この映画にはある秘密があるので、まだ観てない人に絶対に言わないでね」という断り書きがブルース・ウィルスのサイン入りで登場。

この断り書きがハラたった。ただでさえ、「言っちゃいけないんだよねー」を聞かされたうえ、こんな断りがあると、考えちゃうじゃんよ。考えたら、これけっこうわかっちゃうんだよね。

確かにその「秘密」は重要だし、見てない人には言わないほうがいいんだけど、そんなこと断り書きにしなくたって言わないよ。少なくともぼくは断り書きがあったからこそ一生懸命何が秘密か考えちゃったし、考えたらわかっちゃったし、そのことによって映画の楽しみが半減したんだぜ。普通に見てれば考えなかったし、そしたら素直に最後に驚くことができただろうに。ひどいよ、ブルース。金半分返せよ。


商品価格:3400円

と、さんざん断り書きをクサしたが、この映画の興行にとって大事な断り書きだったことは否めない。それは、せっかく「秘密」が大事な映画なんだから、これから見る人の楽しみを観た人が奪わないように、という親切心なのかもしれない。でも、ひょっとしたら、この断り書きによって興行に人々を引き付けようという、マーケティング戦略の一環なのかもしれない。そうだとしたら、それはそれでエライ、と思うわ。

この映画、日本では公開以来一ヶ月間、断トツで興行成績トップを走り続けている。この分で行くと「スターウォーズepisode1」「マトリックス」に続く今年の興行ベスト3になるんじゃないか。だが、この映画の製作費は他の二作より格段に低いだろう。おそらく製作費の半分くらいがブルース・ウィリスのギャラなんじゃないか。

それぐらい、シナリオ上の「アイデア」で成り立っている映画であり、先の断り書きはその「アイデア」をさらに増幅させている。よーく考えると、そんなにヒットするほどの映画じゃないのよ。いや、決してそれほどいい映画じゃない、と言ってるんじゃない。むしろ、ぼくもけっこういい映画だと思う。だけど、大作がヒットする条件みたいになっているこのところのハリウッドの状況からすると、かなり異質ではないか。

映画に人はなぜ行きたがるか。すごい映像だから行きたい。すごく怖いから行きたい。いろいろあるけど、でも秘密があるから行きたい、というのは珍しいよね。でも、それって、いちばん「えー?なになになに?」と人を引き付けるチカラになるのかも。そしていちばんコストパフォーマンスいいのかも。

もっとも、じゃあこの映画がブルース・ウィリス主演じゃなかったら、これほどのヒットにつながっただろうか、とも思う。小品ながら、なかなかユニークなアイデアがあるんだよね、てな「佳作」扱いだったかも。

うーん、映画の商品価値ってやっぱ難しいね。

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「アイズ・ワイド・シャット」
99/8/10

〜夫婦諸君、FUCKせよ〜

独断価格:1600円

スタンリー・キューブリックの遺作。キューブリックだからまた難解なんかいな、と想像してたんだけど、意外なほどわかりやすい映画だったんでビックリ。それに宇宙とか戦場とかを舞台にしてきたこれまでとうってかわって、ちょっと奇抜な展開はあるものの、NYに住む夫婦の生活を描いているのもキューブリックっぽくない。だから遺作らしいと言えばそうなんだけど。

NYで上流階級を顧客にする医者(トム・クルーズ)は美しい妻(ニコール・キッドマン)と幼い娘と何不自由なく暮らしている。ある夜、夫婦の会話でいさかいが生じる。簡単に言うと夫は「男は浮気したがるけど女はそんなことないじゃん」それに対し「女だって夫以外の男に抱かれたいって思うことあるのよん」。それにショックを受けた夫は、秘密の性の世界の扉を開けてしまう・・・

だいたいそんな話で、「秘密の性の世界」なんて書くといかにもインモラルな映画みたいでしょ。実際、R指定だし、日本以外の国々では何らかの場面がカットされているそうな。確かに乱交パーティめいたシーンもあるしR指定にすべきかもしれないけど、でも実は相当道徳的な映画だとぼくは思った。

でねえ、まずこれ、結婚してないと、もっと言うと結婚して子供いる人間じゃないとわかんないと思う。それから、欧米と日本では受け止め方がずいぶんちがうんじゃないか。

先に後者について語ると、この映画では妻が夫以外の男にも抱かれたいと告白することや、夫が娼婦と接触したり少女に欲情した(らしいことが描かれる)りセックスパーティ(?)に潜り込んだりしたことが、とんでもない非道徳としてとらえられている。そこがショッキングだ、ということなんだろうけど、日本ではどうなのか。妻が不倫したり、夫が買春したりすることは、もちろん責められることではあるけど、この映画ほど非道徳だという感覚を日本人は持っていないのではないだろうか。少なくとも、妻が「あたしだってあんた以外の男に抱かれたいと思うことだってあるのよ」なんて言われても、この映画のトム・クルーズほどショックを受けないんじゃないか。あーごめん、今日の夜はがんばりまーす、てなもんじゃない?夫が風俗に行ったから即離婚、と言い出す妻もそうそういなさそう。怒りはしても、まあ素人と浮気されるよりはマシか、と思うんじゃないか。

つまり、アメリカより日本の方がフシダラ。と言うか、日本の方が「人間なんて猥褻な生き物よね」という事実をわかっている。のだと思う。それはアメリカと日本のモラルの違いであり、主に宗教的な理念の拘束力のちがいだろう。だからアメリカと日本の受け止め方はずいぶんちがうんじゃないかとぼくは思う。キューブリックがおれ年くっちゃったけどこんな映画撮るぞー、という程のテーマかよ、と日本人としては感じるだろう。そんなことない?そのへんは、日本だけノーカットだったという事実に表れているんだと思うな。

それから、独身者と既婚者での受け止め方について。結婚前のぼくは、セックスをいまよりも全然崇高にとらえていた気がする。愛してない人としちゃうこともあるけど、やっぱ本来は愛している人としなきゃね、みたいな。結婚したからその考え方が変わったってわけでもないんだけど、愛もセックスもわりとどうでもよくなっている。だから妻を愛してないって言うんじゃなく、愛とかセックスとかがそんな崇高なもんじゃなくなった。ものすごく日常になったというか、特別なもんじゃなくなったというか。妻?ああ、そりゃ愛してるよ。セックス?うーんめんどくせえなあ。そんな感じ。そんな感じって言っても、独身の人にはたぶん、ぜんぜんわかんないだろうなあ。わかりたかったら、結婚するしかないよ、うん。

というぐあいに、見た後にいろいろ考えたことの方が面白くって、またこの映画を見た既婚者同士で酒でも飲むとすごくいいサカナになりそうだけど、映画そのものの評価は1600円。そんなとこ。


商品価格:3400円

まずキューブリックの遺作であること。これは商品価値をおのずから高める。もちろん、多くの人にとってはあの「2001年」のキューブリックというのはなんとなくしかわからないだろう。でも、キューブリックはすごく神秘的伝説的においがついている。何しろ名前がキューブリックなのだ。もしスタンリー・フォードとか、スタンリー・モーガンとかだったらどうか。スタンリー・コーエンでも弱いし、スタンリー・デ・パルマでも負ける。他ならぬキューブリックだったからこそ、人々を惹き付ける神秘性を持ちえたのだ。もう、名前からして他にはどこにもない映画を見せてくれそうな強烈なにおいをキューブリックは持っている。

そしてテーマがずばりセックスであること。ずばりセックスのハリウッド映画が堂々全国ロードショー。これには若い女性が吸い寄せられる。胸を張ってセックスをテーマにした映画を見に行ける。それがちょっとオシャレでさえある。あの芸術的映画を撮るキューブリックが最後にセックスをテーマにした映画をつくったのよーん。何の後ろめたさも感じずに、ムラムラとできるのだ。そりゃ高くなるさ。

これは実は、「失楽園」のヒットと構造が似てるんだけど、あっちに行ったオジサンはなんだか哀しく受け取られてしまうのは、なぜ?

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「Tex Avery笑いのテロリスト」
99/8/4 & 99/9/8

〜伝説のスラップスティック(but I coudn't laugh)〜

独断価格:∞円

トムとジェリーの真ん中の話。と聞いて、ああ、あれか、と言う人は限られてるんだろうなあ。

ぼくが幼稚園から小学校低学年の頃、テレビで夕方、毎日のように何度も何度も、「トムとジェリー」は放映された。それは三話構成になっていて、真ん中だけ、トムとジェリーではなく、ドルーピーが主人公だった。しかも時にはドルーピーさえ出てこなくて、なんだか奇妙な物語であることもあった。

それがTexAveryだ。

トムとジェリーも大好きだったが、「真ん中の話」もそれ以上に好きで、トムとジェリー以上のメチャクチャさと、トムとジェリーにはない毒っけを、子供ながら「こっちの方がカッコいいしアタマいい感じ」なーんて思ってたもんだった。

実は、Movie Watchというメールマガジンで今回の上映を知ってはじめて、「真ん中の話」は一貫してひとりの監督が演出していたことを知った。トムとジェリーはHanna&Barberaというチームが生み出して、その後もチキチキマシーンなども創ったことは知っていた。ぼくは若い頃、かなり喜劇作家に関する本は読んだんだけど、その中にはHanna&Barberaのことは出てきたけど、「真ん中の話」の作家についてはついぞ出てこなかった。

それがTexAveryだった。

とにかく、今回ぼくにとって伝説だった真ん中の話の作家TexAveryに再び出会うことができた。ユーロスペースで二つのプログラムに分けて上映会があったのだ。一本7〜8分の映画を12本ずつまとめて上映してくれた。

そして二つの感想を持った。

ひとつは、感激。

たとえば、いきなりリスが出てくる。森の中をかわいいリスが軽やかに歩く。なんだかディズニー映画みたいな、ほほ笑ましい物語がこれからはじまるぞ、というオープニング。ところが、その愛らしいリスは追いやられて、もっと小憎らしい顔をしたリスが現れ、しっちゃかめっちゃかなスラップスティックになっていく。つまり、これはディズニー映画をちゃかしてるのだ。あんなウソ臭い、あまっちょろい物語、どこが面白いの?もっと無茶した方が映画は面白いじゃん!そんな意志がスクリーンからありありと伝わってくる。

そしてギャグへのあくなき欲求。おもしろくさえあれば、どんなあり得ないことも描いてしまう。目は飛びだし、身体はバラバラ、行ける所はフィルムの外へだって行ってしまう。笑えるのなら、戦争だってお色気だってとりあげる。定石もルールもお構いなし。

ああ、これがおれの血になったんだなあと思った。思い返せば、ぼくは「笑い」が好きで、子供の頃から笑わせてくれるものを探し求めていた。古今東西ジャンルを問わず、柳昇から筒井康隆からマルクス兄弟から。そして笑いの中でも、安直な笑わせ方をするものは軽蔑し、高尚な笑いを追い求めた。ぼくが感じる「高尚な笑い」はブラックであり、シュールレアリスムであったんだけど、そんなコトバを知る前からぼくに「高尚な笑い」を教えてくれた原点が、TexAveryだったのだ。

だけどもう一つの感想は、失望。

笑えないのだ。

べつにムスーッと見ていたわけではないけど、にこにこしながら、ああ、これこれ、これだよと思いながら見てたんだけど、笑えなかったの。

そりゃ仕方ないかもしれない。子供の頃だったから新鮮だったのかもしれないし、当時は最新のギャグでも何十年も経てば古びてあたりまえなのかもしれない。でも、なんだか、寂しかったなあ。

今回のプログラムにはなかったけど、強烈に憶えている話がある。舞台は西部で、夜通しの金庫番を保安官から言い付かったドルーピー。強盗二人に捕まり、しばられるんだけど、強盗達に声を出させて保安官を起こそうとする。必死で声を出すまいとする強盗は、いちいち丘まで走っていって声を出す。手を何かにはさまれたら、丘の上まで走っていって「Ouch!」と叫ぶ、といった具合。しまいには顔だけ丘まで伸びていって叫んだり、もうひとりと首を交換して叫んだり。もう、むちゃくちゃになりながら、映画はひたすら「丘の上で声を叫ぶ」ことしか考えない。

あー、見たいなあ。見て、思いっきり笑いたい。この話なら、笑える気がするんだなあ。

誰か、持ってない?

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「スターウォーズ エピソード1」
99/7/20

〜世界をつくった男〜

独断価格:2800円 商品価格:5000円

鳴り物入りで上陸したスターウォーズ。またやるらしいよと聞いた時は正直言って「あ、そう」てなもんだった。第一作の公開時に中学生だったぼくはもろにハマっていておかしくない世代なんだけど、過去の三部作もさほどのめりこんでいない。映画に興味を持ち始めた頃のぼくはむしろ、ヒチコックのような昔の宝石を探すのに夢中だった。同時代のハリウッド映画を鼻で笑うほどひねてたわけでもないけど、「ああ、スターウォーズね、二作目が好きかな」といった程度。

でも去年、この新作の予告編を劇場で見たときは、心が躍った。こりゃあ息子を連れて見に行かなきゃあ!と興奮した。(その想いが先走るあまり、「スモールソルジャーズ」に連れていってしまったんだけど)でもだんだん公開が近づいて、メディアが騒いだりアメリカでの熱狂ぶりが伝えられたりするうち冷めてきた。日本での先行オールナイトにコスプレで集まる連中の話なんか聞くと、バッカじゃねえの?なんて思った。その程度の冷め方で見れば、これはなかなか楽しめる映画だ。

物語は、アナキン・スカイウォーカー、つまり前三部作の主人公であるルークの父の少年時代のお話。奴隷の息子だった彼がいかにしてジェダイ騎士の世界に入っていったかが描かれている。こんなに可愛い少年があのダースベイダーになっていったなんて。

見どころは前半のポッドレースと後半の大戦争シーン。ただ、戦争が意外にあっけない形で終るのは拍子抜け。

でもこの映画を普通の映画と同じ尺度でいいの悪いの言っても意味ない。それよりも、これだけオリジナリティのある壮大な世界を、世界中の人々を惹き付け巨大なビジネス市場も産んだジョージ・ルーカスのエネルギーにぼくは素直に感動してしまう。単純に一作目が当たったからシリーズ化しました、というのではなく、あらかじめ世界を構想しておき、それを実現する技術を開発したり機が熟するまで待ったりという、信念の強さ、意志の強固さに尊敬の念を抱いてしまう。

この映画でもCGは素晴らしい。美しいというか。ジャージャービンクスの柔らかでリアルな動き。戦闘ロボットの洗練された造形。(バタバタなぎ倒されるのがロボットというのもルーカスの子供に見せる時の配慮を感じさせる)都市の背景の荘厳さ。細かな部分まで手を抜いていない。

スピルバーグが骨の髄まで映画監督であるのに比べると、ルーカスは手腕としても映画監督ではないと思う。極端に言えばスピルバーグがこの映画を演出したほうがよほど面白いものになっていたんじゃないか。だからルーカスがダメだと言うんではなく、ルーカスは「スターウォーズ作家」なんだと思う。この、銀河を舞台にした大河物語を創造するために生まれてきた男。そのエネルギーにはひれ伏すしかない。

ルーカスは、ゆくゆくのスターウォーズはデジタル環境で鑑賞するものにしたい、と言っているらしい。フィルムで映写するのではなく、ということ。これだけデジタルの要素が使われていると、コスト面でもクオリティ面でもその方がいいのだろう。映画はもう、映画ではなくなるのかもしれない。

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「ゴールデンボーイ」
99/7/6

〜ぼくだって人を殺してみたいんだ〜

独断価格:2000円 商品価格:1000円

「ユージュアルサスペクツ」で映画好きをあっと言わせたブライアン・シンガー監督の新作。

成績優秀の高校生がひそかにナチスのホロコーストに興味を持つ。近所に素性を隠して暮らす元ナチス将校の老人を発見し、二人の奇妙な交友関係が始まる。

地味ながらすごく独特な物語で面白い。テーマは「人を殺してみたい気持ち」。誰だって思ったことない?「人を殺すってどんな感じなんだろう」って。

人々が心の中で覆い隠しているその気持ちを、この映画はえぐり出している。老人の体験を聞きながらどんどん殺人の甘美な匂いに魅せられていく少年、そして少年に過去の記憶を呼び覚まされ老人もまた殺人者として再び目覚め始める。そのあたりをうまく描いている。

難を言えば、最後にもっと何かあってもよかったんじゃないだろうか。意味深なエンディングではあるけれど、映画としてはも少し盛り上げてほしかった。ちょい物足りない感じ。

さて商品価値についてだけど、この映画はいまの日本にとってとても重要なテーマを扱っている。ティーンエイジャーたちによる理由なき殺人のニュースがここ数年めずらしくなくなっているわけで、そのあたりを宣伝で意識させればいいのに、とぼくは思った。あまりやり過ぎるといやらしくなり逆効果だけど、さじ加減をうまくコントロールしながらやればもっと世間の注目する映画になっただろう。おやじ向け週刊誌などが酒鬼薔薇事件の犯人をわけわからんもん扱いする中で、「殺人」への興味は誰の中にでも潜んでいる(だからこそぼくたちは理性的でなければならない)ことを描くこの映画は時代性があるんだけどなあ。もったいないと思うんだよなあ。

ところでこれ、原題は「Apt Pupil」で「利発な弟子」みたいな意味なんだけど、この邦題はなんだ。スティーヴン・キングの原作がそういう題なのかな?いずれにせよ、あまりいい邦題ではないと思うなあ。お客さん呼ぶ意味で、だよ。

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「ザ・グリード」
99/6/25

〜悪い意味でのB級ムービー〜

独断価格:800円 商品価格:1000円

去年のロードショー時に予告編を見て「意外に面白いかもっ」、と思って結局見なかった。TSUTAYAで一週間レンタルしてほっといた間に「ハムナプトラ」を見たら監督が同じだと知った。しまった!と思ったけど、せっかく借りたんで見たらやっぱしょーもなかったわ。

南シナ海を処女航海する豪華客船。得体のしれない何かに襲われて乗っていた富豪たちは全滅。シージャックで乗り込んだ一味と生き残った数名によるサバイバルが始まった。

で、「得体のしれない何か」は深海のミミズに近い生物が巨大化したものらしい(この辺の解説もすごく都合よくセリフで語られるんだけど)。にょろにょろと船中をうごめきまわりながら人々を襲う。先端には大きなあごがついていて人間をひとのみにし、ホネだけ吐き出す。

問題はその化け物。フルCGでできているんだけど、まるでCG。だもんで、リアリティがないんだなあ。「ガメラ3」でもイリスの触手がなーんかいまいちだったんだけど、CGはこういう柔らかいものの表現には向いてないんじゃないか。

そして「ハムナプトラ」でもそうだったんだけど、怖がらせ方の演出が怖くないの。考えたらスピルバーグはすごいと思うんだけど、「激突」のトラックでも「ジョーズ」の鮫でも怖かった。でもこの監督はちいとも怖くない。ギャグでさえない、というか。

B級ムービーの呼称はいまは愛すべき映画に使われるけど、この映画は悪い意味でB級。見る価値ほとんどなし。そんなこと見る前から想像つきそうなもんだけど、馬鹿だね、おれ。

ところでこれ、原題は「Deep Rising」とかなんとかで「ザ・グリード」は邦題。辞書で引くとgreedは「どん欲」とかいう意味。カタカナだと濁点が多くてなんとなく雰囲気出てる。うまい邦題だと思うな。

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「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」
99/6/21

〜ぺらっぺらの薄っぺら映画〜

独断価格:900円 商品価格:2800円

とくに言うべきこともない映画。もうちょっと面白いと思ったんだけどなあ。

ミイラ映画。と聞いてけっこう期待しちゃったんだけど、ちっとも怖くない。白人の男女がエジプトに乗り込んでミイラを発掘したらそれが甦って、というありきたりなストーリーでそれはそれでいい。ありきたりな話を最新のSFXを駆使して見せてくれると思ってたし、実際そうなんだけどSFXが意外にちゃちい。オープニングだけは素晴らしかったけど、「砂」にしろ「ミイラ」にしろ、つまんないの。ミイラは間抜けだったなあ。かなり。笑っちゃう。ウガーって吠えたりして。

シナリオもひどくてありきたりな話だからって、ここまで薄っぺらにすることもないだろう。多分脇役のキャラが弱いんだろうなあ。

とにかくミイラが間抜けで怖くない。ミイラの造形の問題もあるけど何と言っても演出が下手。ショックシーン、サスペンスシーン、どっちもちっともドキドキしない。その上、香辛料的なユーモアが全然笑えない。ヒチコックを見習え。スピルバーグを真似しろ。とにかく「アルマゲドン」に匹敵するダメ映画。

というわけで、独断価格は900円。アルマゲドン並み。

ところが商品価格は2800円。もう少し高くてもいいくらい。

何と言ってもこの映画の商品価値を高めているのは、日本の配給サイドの戦略。「インディジョーンズ」みたいな冒険活劇だよ、という狙い。これが見事に当たった。

この映画は「ミイラ映画」なわけで、普通に考えれば「ミイラ」を売りのポイントにするだろう。ところが肝心のミイラが上で書いたようなていたらく。そこで「冒険活劇」にしたんだろう。それはそれでウソじゃないしね。

そして「インディジョーンズ/失われた聖櫃」を誰もが想起する邦題。原題は「The Mummy」つまりミイラそのもの。全然ちがうよね。そのうえ、そのタイトルのロゴデザインがインディジョーンズそっくり。ポスターやテレビスポットを見た人は皆、「ほほお、インディジョーンズみたいに面白いのかなあ」とそそられたに違いない。その戦略にまんまとハマって、映画館はかなり混んでいた。たぶん今週の興業トップだろう。もっともつまんないんで翌週以降はぐんぐん下降するだろうけど。

この配給会社の宣伝戦略を誠実じゃない、と非難する人がいてもおかしくない、とは思う。でも、面白くない映画でも「面白そう」であれば客は来る。そのことからは、映画ビジネスを考える上のヒントはあるだろう。「面白い」も大事だが、「面白そう」も同じくらい大事なのだ。そして日本映画には「本当は面白い」映画はいっぱいあるけど「面白そう」な映画は圧倒的に少ない。

もっとも、ハリウッドとその配給会社も、こんなことばっかやってちゃいつか観客にそっぽ向かれると思うけどね。

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恋に落ちたシェークスピア」99/6/7

〜交錯する虚構と現実の恋〜

独断価格:2400円 商品価格:3000円

今日は「菊次郎の夏」を先に観て、がっくしきたもんで、この映画はずいぶん有利になったかも。前評判を越える出来で、アカデミー賞を総なめしただけのことはある。

ぼくは映画であれば何でも好き、と思ってたんだけど、考えてみると「恋愛映画」は避ける傾向にあった。まあ、惚れたはれたをわざわざ映画館で観なくていいじゃん、という意識がどっかにあるんだろうね。でも、この映画の恋愛は映画館で観る価値のあるものだった。

新作のアイデアに苦しんでスランプの劇作家シェークスピア。ふと知りあった資産家のお嬢様ヴァイオラに恋をする。彼女は大の芝居好きで女優になるのが夢。詩のようなセリフを書くシェークスピアに彼女の方も憧れていた。しかし彼女には親の決めた婚約者がいて二人の恋は結ばれないことがわかっている。その悲恋は、そのまま新作「ロミオとジュリエット」になってゆく・・・てな話。

シェークスピア本人の悲恋が名作になっていった、ってのは丸きり史実に反するらしいのだけど、そのプロットを思いついた時点でこの映画は勝利。だけど、それだけではない。その思いつきをさらに綿密なシナリオに磨き上げ、さらにさらに考え抜かれた美術とえり抜きのキャスト、それらをフィルムに収めていくスタッフと監督の質の高い仕事がすべてを豊かな物語に仕立てる。それが映画だ。これが映画だ。たったひとりの天才的な才能に頼り切っていては映画にはならない。と、これは「菊次郎の夏」への不満を反映した意見なわけだけどね。

この映画の妙味は、芝居の中の恋と、シェークスピアとヴァイオラの現実の恋が、からみあいながら展開する点にある。繰り出される愛のささやきは、芝居のために書かれたものなのか、シェークスピアの想いを言葉にしたものなのか。答は「両方」なわけで、つまり人は恋愛をするとき、虚構を演じているとも言えるし、優れた芝居は現実と相似だとも言える。

そうした交錯が芝居の稽古の場面で繰り返され、やがてクライマックスで、シェークスピアがロミオを、ヴァイオラがジュリエットを演じることで、再びより高いボルテージで行われる。この交錯が二人の恋をいやがおうでも盛り上げ、観客であるぼくたちは感動する。その構成のうまさと言ったらない。

「恋愛」は恋愛であるだけでドラマチックではある。でも、それを映画にするのであるなら、やはり映画的な仕掛けを考えるべきだ。日本映画で、ときどき「現代に生きるOL」を主人公にした恋愛映画をみかけるけれど、それはテレビドラマにはなれても映画にはなれない。少なくとも、映画的な恋愛にする仕掛けがなければ、商品価値も高まらないわけよね。

この映画の商品価格3000円も、近世のイギリス、とか、階級社会、とか、伝説の劇作家と名作、とか、そして虚構と現実の交錯とかの仕掛けと、それらを質の高い技術で見せる熟練から生まれるわけで、ね。

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8mm」99/5/13

〜だってあなたも殺人は見たいでしょ〜

独断価格:2600円

いまはもう6月6日なので、いろんな印象を忘れちゃってる。2600円も価値あるかなあといま考えると思うんだけど、価格だけは見てすぐつけたから、やっぱ面白かったんだろうなー。

ニコラス・ケイジ演じる私立探偵。最近子供も生まれ、上客もつきはじめていい感じ。そこへ、ある大富豪の未亡人から依頼が。遺品からスナッフ・フィルムが見つかった。その真偽を確かめてほしいとのこと。そのフィルムの出所を探して、探偵はアンダーグラウンドな世界へ迷い込むのだった。

スナッフフィルムという言葉はぼくもはじめて知ったんだけど、殺人場面が写っているフィルムのこと。映画の中のものは、半裸の少女が暴力を与えられながら死に至るものらしい(映画の良心として途中からは見せないわけ)。

この映画の脚本はアンドリュー・ケビン・ウォーカーで「セブン」で一躍注目された人。言われてみれば、「8mm」は「セブン」の続編にも思える。演出はジョエル・シューマカーで、まあそつなく上質にこなす人だもんで、この映画は演出の映画というよりシナリオの映画だと言えるね。

「セブン」の結末は、正義の刑事が悪魔にほんろうされて悪魔になった、と解釈できる。「8mm」の探偵はスナッフフィルムの製作者たちを懲らしめることでかろうじてその世界と決別した、とも解釈できる。その辺りがこの物語の大きな魅力で、勧善懲悪とは言い難いところがこの脚本家の面白いところだろう。ただし、そういった微妙な味わいを演出が引き出してはいないのがちょいつまらないんだけど。

とにかくね、殺人場面をフィルムに収めるなんて犯罪だし、そのフィルムを見て悦楽に浸るなんてとんでもない悪趣味だよね。でも、そんな悪趣味はどんなに清い心の持ち主でも、胸の中に潜んでいる。だってぼくなんか見たかったもん「世界残酷物語」。残酷な場面を集めただけの映画。ライオンに人が食い殺されるシーンが最大の見せ場。雑誌の紹介記事に靴下を履いた足だけがライオンたちの間から見える写真があって、ああ見たい、見たいよおれこの映画、と思ったもんだ。いまだって世界の事故惨劇シーンを集めて流すテレビ番組だってあるじゃん。まあ、とんでもない悪趣味だけど、視聴率とれるわけでしょ。

「セブン」もそうだったけど、わーい正義バンザーイ、じゃないところがこの脚本家はいい。フィルムに関わった連中を探偵が懲らしめるのも、悪を征伐してるんじゃなくて、自分の中の悪魔を必死こいて征伐してるんだわ。すべてが解決したはずなのに、映画の最後にぷーんと重たい空気が漂うのも、観客が主人公とともに自分の中のアンダーグラウンド世界を垣間見ちゃったからだろうね。などと、フツーじゃない魅力がいろいろあるんで、うんやっぱり2600円でいいんじゃない?


商品価格:2000円

これも見た直後、2000円の商品価格をつけたんだけど、もう少し高くてもいいかも。

自分の中の悪魔を垣間見ることを、いま観客はしたいんだと思うんだよね。そして、そんなことができるのも映画の重要な魅力のひとつなんだと思う。「悪魔市場」とでもいうべきマーケットがいま、映画にはあるんだわ。もう少しいうと、いま物語全般にあるとも言えるね、この「悪魔市場」は。

そういう市場にびたっとはまるわけ、「8mm」は。しかもその題材がもう聞き飽きたサイコサスペンスとはまったく別のスナッフフィルムだってとこも市場には新鮮。ああ、そういう悪魔もありますあります私たちの心の中に、と気づかせてくれるからさ。

なんでいま「悪魔市場」が成立してるのかは、めんどくさいし本音言うとまだちゃんと考えがまとまらないから別の機会に。また、同じ「悪魔市場」ものでも「隣人は静かに笑う」とは決定的にちがう点があるんだけど、それはあっちの感想文の中で。あっちを先に見たくせに、まだ書いてないんだけどさ。

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アルマゲドン」99/3/23

〜これほど疲れる映画もない!〜

独断価格:800円

お正月映画として去年の12月にロードショーが始まり、いまだに一番館で上映され続けている。ちょっくら観ておくか、と軽い気分で観に行ったら、まだまだお客さん入っててびっくりだ。「つまらない」「大したことない」「でも感動した」という評判で、期待しないでいったら、低い期待をはるかに下回る映画だった。

これほど予算を投じて、これほどつまらない映画をつくる必然性がわからない。ハリウッドのこの数年の大作の中でも群を抜いてつまらない。これを面白がるやつはよっぽど映画に飢えてる人だろう。

「ディープインパクト」に続いてまたしても巨大いん石の危機に見舞われた地球。あまり巨大なんで表面に核ミサイル打ち込んでもダメ。いん石に穴を掘って爆弾を埋め込むのが唯一の地球が助かる道。そこで白羽の矢が立ったのが、世界中で石油を掘ってる男、ブルース・ウイルス。彼は荒くれの部下たちを引き連れて宇宙に飛び立った。という話。

という話が、途中まで何の葛藤もなく語られていく。はい、いん石発見しました。はい、白羽の矢が立ちました。はい、男たちの宇宙飛行訓練です。はい、ロケット発射しました。とんとんとんととんとん拍子に進んでいく。

葛藤はないくせに、カメラワークはやたら激しい。動く動く、終始動き回っている。別に手持ちカメラではないんだけど、どのシーンでも動き回っていて、そうするとスクリーンを見ているのがつらくなってくる。

カメラがやたら動くのが疲れるうえに、物語に抑揚がないというか。いや、物語に抑揚がないくせに、やたらとアクシデントな場面が多い。なんか矛盾してるみたいだけど、ようするに見せ場をつくろうつくろうとしてやたら爆発したりするのね。それがまた疲れる。

もうあまりに疲れるんで途中で出ようかと思ったほど。ぼくは大作であれ名作であれ駄作であれ芸術作であれ、とりあえずそれが映画であればうれしいので途中で出たいなんて滅多に思わないんだけど、この映画は出たくなった。もう観ているのが嫌になった。

と言いつつ、最後に地球のために死を覚悟したブルース・ウイルスが娘のリブ・タイラーと言葉を交わす場面ではうるうるしてしまった。父親になっちゃうとそんなもんよ。


商品価格:4000円

4000円の値をつけたのは、さすがに4ヶ月もロードショー続いてるとそれくらいつけないわけにはいかんだろうってことで、正直言うとなんでこんなどうしようもない映画に4000円もつけなきゃならないかわからない。

ひとつ感じたのは、この映画は宣伝がうまかった。うまさの背景には「ディープインパクト」の成功と失敗があるからだろう。

「ディープインパクト」もいん石映画。この映画は、公開当初はいまいちの客入りだったんだけど、その後伸びた珍しい映画。普通、映画は公開初日で全体の動員が決まるといわれている。初動で失敗したのは実は宣伝だったのね。

「ディープインパクト」は公開時期のテレビ予告編ではいん石衝突によって起こるスペクタクルを売り物にしていたわけ。NYに大津波が押し寄せて自由の女神が渦に消えていくなんてシーンをメインにしていたの。で、そういうことじゃ観客動員はできなかったわけ。ところがこの映画は実はいん石が来る時の人々の人間ドラマが面白い映画だったの。アメリカ映画のわりには自己犠牲精神あふれていてね。日本人受けする話なわけよ。そのあたりが口コミで伝わって、その後の意外な伸びにつながった、とぼくは見ている。

それを見て、だと思ってるんだけど、「アルマゲドン」はカンタンにいうと「感動しますよー」と宣伝物が言っていた。ブルース・ウイルスとリブ・タイラーの親子関係に、恋人の青年もからめ、「愛する人のために地球を守る」をテーマに据えて宣伝していた。

この映画のロングランは、そうした宣伝戦略が功を奏したのかもしれない。実際、クライマックスではそれまで帰りたがってたぼくでさえうるうるだったわけでね。

でもさあ、だからってさあ、中盤までのあの退屈さ、どうでもよさを許していいのか。これを「いい映画だった!」と言っちゃう人はよほど映画観てないんだと思う。

「踊る大捜査線」なんかもそうだけど、いまって一度火がつくと限りなく燃えちゃうのね。情報が氾濫すると、どれがいいんだか悪いんだかわかんなくなって、ある一線を越えたものにみんなが飛びつくんだろうね。ちょっと世紀末な状況だって気もするなあ。

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バグズライフ」99/3/22

〜技術のチカラ、物語のチカラ〜

独断価格:3200円

「トイストーリー」のピクサースタジオが今度は虫の世界をモチーフにつくった三次元CGアニメ。子供を連れて吹き替え版を観た。

あるアリの村。彼らはバッタたちに毎年食べ物を貢いでいる。自分のミスで貢ぎ物を川に流してしまった主人公のフリックは、外の世界へ助っ人を探しに行く。街で出会ったサーカスのメンバーを強い虫だと勘違いして連れ帰ってしまって・・・てな話。

「七人の侍」というよりむしろ「サボテンブラザーズ」に近いプロットを、シナリオチームが愉快なエピソードをちりばめたしっかりした物語にまとめあげている。それを、最新のCGで迫力ある映画に仕上げている。こういう先鋭の映像技術を使った映画はへたをすると技術を見せようとするあまり、物語がお粗末になりかねないんだけど(「ガメラ3」はややそうなっているね)この映画は技術と物語のバランスがいい。「トイストーリー」もそうだった。そういう完成度の高さが何より素晴らしい。

また、この映画は大人も楽しめるけど子供だって面白く観れるようにつくってある。ぼくの三才の子供もしっかり笑っていた。子供にもわかりやすく、だからといって手も抜かない。そういう姿勢がまた素晴らしいと思う。

個人的には「トイストーリー」ですでにびっくりしたし、物語としてもあっちの方が好きなんだけど、がっかりさせないどころかまた別の面白さを見せてくれて、大合格といったところ。3200円とつけたが、それくらいの価値は軽くあるね。


商品価値:3000円

春休み映画の中ではだんぜん商品力がある。「ドラえもん」「ウルトラマン」「ガメラ」それぞれが限られた層しかターゲットにできないのに対し、「バグズライフ」は大人も狙える映画になっている。20代のカップルがデートのネタに十分できる映画なのだ。そうした幅広い層を意識して、興業も昼間は吹き替え版、夕方からは字幕版で上映している。これって画期的なんじゃないかなあ。

邦画もそろそろ、「子供を狙います!」の映画づくりを見直してはどうだろう。「子供から大人まで狙います!」の方がどう考えても興行的にはいいわけでね。とは言え、これはまた難しいわけだろうけどね。

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ランナウェイ」99/3/4

〜少しもいいところのない映画〜

独断価格:500円

「フィフス・エレメント」で素っ頓狂なDJを演じて注目されたクリス・タッカーをフィーチャーしたアクション・コメディ。チャーリー・シーンも出演していて脚本が「トイ・ストーリー」のコンビだと聞き、ひょっとして拾い物かもと思って大して話題にもなってないのに観に行ったんだけど、しょーもなかった。

小悪党のクリス・タッカーがひょんなことからフランス人のテロリスト集団の一味扱いされ警察に追われる羽目になる。スクープで手柄を立てたいケーブルテレビのレポーターであるチャーリー・シーンと組んでテロリストの悪事に立ち向かう、てな話。

別にそこそこ面白くてもおかしくなさそうな話なんだけど、これがちっとも面白くない。どこが悪いかって、ホント、面白くない、のひと言に尽きる。いままでいろんな映画をけなしてきたけど、けなしようがある映画はまだいい。この映画はけなす価値さえない。けなす価値のある映画はけなしつつも、こういう映画もあってもいい、ということで、この映画ははっきりいってなくてもいい。映画として存在したきゃ存在してもいいけど、存在しなくてもぼくとしてはいっこうに構わない。そんな感じ。

まあ、要するに監督がどうでもいい人間なんだろうね。面白い役者使って、そこそこの脚本(脚本も決してほめられたようなもんじゃないけど)があって、ちっとも面白くないのは演出家の責任だろうね。

どうせならクリス・タッカーがジャッキー・チェンと共演している「ラッシュ・アワー」を観ればよかったなあ。


商品価格:500円

ハリウッド映画には珍しく500円の商品価値。実際、客は入っていない。配給会社も、まあ穴埋めに仕入れとくか、みたいなもんだろ。あるいは何かの大作と抱き合わせで買わされたか。クリス・タッカーとチャーリー・シーンならそこそこのブランド価値はあるんだけど、とにかく娯楽度が低すぎるからやっぱり商品価値は500円。

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スネーク・アイズ」99/3/1

〜デ・パルマの空回り〜

独断価格:1000円

ブライアン・デ・パルマ監督の最新作。「ミッションインポシブル」ではお金はかかってるけどなんだかなーだし、ちっともデ・パルマらしくなかったんだけど、今回はプロデューサーのひとりとしてもクレジットされていて、自分で製作して好きにやったんじゃないか。でも結果的にはなんだかなー、だった。

アトランティック・シティのスタジアム(ただし建物の中にホテルやカジノもある一大プレイランドらしい)で開催されたボクシングの試合。市警のゴロツキ刑事リック(ニコラス・ケイジ)はバッジを振りかざして観戦に来る。同級生だったケヴィン(ゲイリー・シニーズ)は軍隊で出世して、国防長官の護衛で来ていた。ところが試合の最中に国防長官は狙撃されてしまった。犯人をすぐに発見して射殺したものの、長官を守れなかった責任を感じるケヴィン。リックは同級生としてケヴィンの出世を誇りにしているので、彼が責任を問われないように捜査を仕切りはじめるのだが。

予告編では「14000人の目撃者がいる!」「1500台のカメラが!」などと盛んに言ってたので、こりゃ面白そうだと思ってた。ひとつの事件が起こった後、目撃者の証言やカメラに写った映像をモザイクのように組み合わせて真相を明らかにする、なーるほどデ・パルマらしい、映画らしい映画じゃないか!と勝手に推測してワクワクしてたんだけど。

実際、まず最初の13分間はワンカットの長回しで、リックを追うカメラを通して、舞台設定と事件の瞬間までを映画の世界とリアルタイムで体験できるの。長官を射殺する銃声が響いた瞬間、ようやくカットは変わる。このあたりはゾクゾクする。その後、ある程度は予想した通りの映画ではある。何人かが射殺の瞬間までの自分の行動を語る。それと最初の長回しとが対比されたりして、じつに面白いし長回しの意義が増す。でもこっちが思ってたほどは目撃者や映像が活躍しないんだなー。それに途中途中で、「しかしなぜこうなってそうなるの?」と疑問をさしはさみたくなる無理矢理さが感じられるのよねー。

さらには、後半から映画は証言や映像のモザイクをやめちゃって、リックと犯人、謎の女のおっかけっこになったりするんだけど、そっから先はつまらない。つまらないうえに「なぜそこでそーなる?」な部分がいっぱいあって、白けちゃった。

最初の長回し以外にも、画面二分割とかカメラの俯瞰移動、壁越えとか、デ・パルマがやりたいことやりまくってはいるんだけど、とにかくどーにもシナリオが脆弱でダメだった。

最後の最後に意味深なモノが映し出されて、パンフによれば「それはこういうことでした」ってことをわからせたかったらしいんだけど、わかんねえよ、そんなもん。

まあニコラス・ケイジとかゲイリー・シニーズとか好きな役者も出てたんだけど、期待をあまりに大きく裏切られたので独断価格は1000円。これには劇場のせいもあって、実は上映中に絵が途切れて音だけになっちゃったの。しばらくして絵が復帰したんだけど、さらに数分後には映写そのものが止まって、「先程映像が途切れたシーンから上映し直します」だと。「別の機会に見直したい方はロビーで係にお申し出ください」と言ったらぞろぞろと数十名が出ていった。みんなむかついたんだわねー。おれだって相当むかついたし。長い間映画見てきて、こんなこと初めてだよ。前代未聞のミスだね。

マリオンのピカデリー2。まあ、映画にどんどんやる気なくしてる松竹系だからしょーがないかな。やる気無いなら、とっとと映画産業から撤退すりゃいいじゃんよ。


商品価値:1200円

いちおうデ・パルマと言えば「アンタッチャブル」や「ミッションインポシブル」の、と冠をつければそれなりのブランド力は発揮できるだろう。ニコラス・ケイジも、最近は大作やヒット作が続いていて、ブランドパワーが出てきたところ。

でもどちらも、「あのスピルバーグ」とか「あのシュワルツネッガー」ほどのブランド力ではない。観た人が「あの映画つまんねーぞー」と言いふらせばカンタンに吹き飛ぶ程度のものだ。

というわけで、商品価値は独断価値に少し毛の生えた程度の1200円。せいぜい二週間の興業で終わりかな?

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