独断価格:2800円
「もののけ姫」のヒットで波に乗るスタジオジブリの新作。宮崎駿の名声に隠れていまひとつ目立たなかった高畑勲監督がいしいひさいちの漫画「おじゃまんが山田くん」の映画化に挑んだ。「もののけ姫」との題材でのギャップに世間は驚いた。ぼくも驚いたけど。
しかも今回はこってり絵を描き込むアニメではなく、線画でいくという。それがなぜかフルCGだというのだから、どうなっちゃうんだろうと興味津々だった。
で、その絵なんだけど、これが面白い。線でできた世界に水彩画のように淡い色をつけてある。それがなんとも、いままでみたこともない味わいがある。時にはスピーディなシーンやスペクタクルな場面もあり、その淡い色彩の絵がダイナミックに動くのも楽しめる。
そんな既存のアニメの逆を行く画面で、山田家の日常が描かれる。基本的には確かに原作通りで、とくにストーリーめいたものはなく、淡々と映画は進む。でも、明らかに原作にはなかったテーマがある。それは、「日本の家族って素晴らしい!」ってこと。この映画は、日本の家族の参加であり、日本の家族へのエールである。
親子四人に妻の母を足した5人家族の生活ぶりは、まぎれもなく日本人の典型だ。家族の前では威厳をもって父親らしくふるまい、その実ドジで気の弱いのが妻や子供には見え見え。それでも彼は父親らしく説教がましい。妻は専業主婦の平凡さにどっぷりひたっている。夫の傲慢さを「はいはい」と明らかに不満たらたらで受けとめながら、だらだら生きる。子供たちは生意気でいっちょまえで、ちっとも親たちを尊敬していない。おばあちゃんは娘や義理の息子に皮肉ばかり言って煙たがられるのをものともせず、老後をエンジョイしている。
そうした、家族をシニカルに見る視線は原作のものだが、映画はそれを「ま、そんな感じでいいじゃん!」と突き放しつつもあたたかなメッセージを込めて描いている。山田家はリストラで悩んだりグローバルスタンダードに戸惑ったり男女差別を主張したり自分探しをしたり受験戦争に悩んだり親子の断絶に悶々としたりしない。そういう現代の悩みを知らないかのようだ。いや、彼らも映画に描かれなかった部分では上のような悩みを持っているのかもしれない。しかし「そんなさあ、悩んでもしょうがないじゃん!」という映画のメッセージがそんな悩みを吹き飛ばす。悩みを超越してしまう。あるシーンで「あきらめが大切です」という話が出てくるのだが、それは消極的な意味でのあきらめではなく、前向きに生きるための知恵なのだ。
ああ、なんだか日本だなあ、と思った。そして確かに、日本人は幾多の困難を「だってしょーがないじゃん」と言って乗り切って来たんじゃないだろうか。途中で植木等ソングのひとつ「だまっておれについてこい」が流れる。すべての悩みを「そーのうちなーんとかなーるだーろーう」と締めくくってしまうこの唄はぼくの心の唄でもあるんだけど、日本人の精神は演歌などにはなく実はこの唄のような気分にあるんじゃないかと思っていた。そして節目節目に登場する九つの俳句。そのわびさびというか枯淡の境地は「あきらめが大切」や「そのうちなんとかなるだろう」と相通じるものがある。この精神こそ、日本。日本人。
この映画は「私らこんな程度のもんですよーん」とさげすみながら、でも強烈な日本人賛歌であり、実は日本人の誇りさえ示している。うだるような暑さが続いているが、映画館を出て見上げた青空が爽やかに見えたのは、まちがいなく映画のおかげだった。
商品価格:2500円
この映画の興業は、映画界みんなが注目していたに違いない。なにしろ、「人間対自然」という壮大なテーマを濃く描いた「もののけ姫」に続くジブリの新作が線画の4コマ漫画をフルCGで、ってんだから。普通に考えれば「次回作はさらにスケールアップでお送りします」になりそうなもんなのに、その正反対だ。
正直言って、「山田くん」は「もののけ姫」を超えるヒット作にはならないだろう。公開一週目は「スターウォーズ」に次いで2位の興業成績だったが、二週目には早くも4位に落ちた。製作費は二十数億にもなると聞くが、それを回収できる配給収入になるのは難しいのではないか。
でもそれは日本国内での話で、「山田くん」はディズニーも資本参加し、アメリカでの配給も決まっている。世界全体での興業を含めるとどうなるのかはわからない。製作陣はそのあたりどう読んでいるのだろう。
いずれにしろ、ぼくはジブリは大したもんだと思う。「もののけ姫」とは正反対の企画を選ぶなんて、普通考えないはずだ。でももし、「もののけ姫」と似た企画だったら世間は「ああまたかよ」てな反応だろう。ジブリのブランドステータスからみたら、「山田くん」は正解だとぼくは考える。
ジブリは宮崎駿と高畑勲という二人の作家を抱えながらも、この二人がやりたいことを勝手にやってるわけではないようだ。プロデューサーを含めて、様々な要素をふまえながら次の企画を決めているらしい。そうした姿勢が、長いスタンスでのビジネスの成功につながっているんだと思う。監督が好き放題やればいいソフトができあがってヒットするわけじゃないんだよな。
独断価格:1200円
自らカルトを自認する塚本晋児監督が東宝系でメジャーに挑む映画。予告編がいま流れていて、強烈な臭いを放っているもんでわくわくしてたら試写会で見ることができた。そしたら・・・ちょっと期待しすぎたかな?
明治末期の青年医。両親と美しい妻とともに、豪邸で豊かに暮らしている。だが自分とうり二つの男が現れて・・・てな話。
異様なほど独特なムードの美術がすごい。別にお金かけてるとかそういうことじゃなく、人物のメイクとか細かな部分にこだわって、「とにかく不気味な世界つくるぞエネルギー」がみなぎっている。豪邸と対比的に描かれる貧民窟がまたすさまじいし。
それとモックンがすごい。青年医と、その双生児を本木雅弘があるときは優雅に、あるときは毒々しく演じ分けていて、やる気満々。誰よりもモックンがやりたがった企画なんじゃないだろうか。
けど、個人的には好きじゃないの、美術も演技も。鬼気迫る不気味なトーンですごいオリジナリティだとは思うけど、生理的には嫌い。貧民窟のシーンなんか鳥肌立ちそう。
でも決定的に問題なのは脚本。問題というか、もっとなんとかなったんじゃないのか。人物たちの背景は奥深くていいんだけど、最終的に盛り上がれないというか。タイトルから想像つくように入れ替わりの話で、入れ替わってああなってこうなって、クライマックスが甘いのかなあ、最後で興奮がないの。鬼気迫る美術と演技で不気味に物語を進めて、そうすると観客としては最後に「おおおーっ」みたいな高まりを得たいんだけど、それがない。簡単に言うと、カタルシスがない。
まあ、塚本オリジナル企画じゃなく、乱歩のこの原作をモックン主演で映画にする企画があって呼ばれたらしいから、塚本監督も「鉄男」ほど盛り上がれなかったんだろうね。期待しないで見れば話の種ぐらいにはなるかも。
商品価格:1200円
予告編からすでにカルトっぽいから、そのムードを観客がどう受け止めているかがまずポイントだろう。「面白いかも」な気になってる人はそこそこ多いと思う。ただ、初日で動員をどばーっと期待できるほどではないんじゃないか。そこでこの内容だと、つらいだろう。見た人が「いやー不気味だけどさあ、おんもしれえんだよ!」と興奮して語ってくれそうだとジワジワ伸びるかもしれないけど、それも期待できそうにない。
二週間ぐらい興行しておしまい、じゃないかなあ。せっかく東宝系で公開するんだから、色気出せばいいのに。いつまでもカルトじゃナニでしょ。
製作側も甘いと思うな。塚本監督にまかせっきりにせず、せめてシナリオを固めてから監督に渡してその枠の中で好きに暴れてもらう、くらいなコントロールがなきゃダメじゃん。
独断価格:1300円
「ひみつの花園」の矢口史靖監督の最新作。前作をビデオで観てすごく気に入ったから期待したんだけど・・・。
はきはきものが言えないレンタカー店員(安藤政信)と、大人しい自分をホントは変えたい看護婦(石田ひかり)はやくざの事務所で爆発事故に巻き込まれ、二億の裏金を思わずフトコロに入れてしまう。遠出していたちんぴら組員たち(ジョビジョバ)が戻ってきて、二人を追いかける。かくして、二億を持った二人とちんぴらの追いかけっこがはじまって・・・
うーん、こうして書くとなんか面白そうだなあ。でもねえ、この出だしに至るまでにすでに映画の三分の一くらいの時間が費やされとるの。たるいの。長いの。
「さえない青春を送ってる男女があるきっかけではじけちゃってホントの自分をつかむ」てな構造なわけだけど、「えっと、この男女はこんなにさえない青春をおくってウジウジしてます」って部分が多すぎるんだよね。観客の多くはさえない日常を送ってるわけだから、くどくど描かなくてもわかるってばさ。早く走り出せ!とぼくはずっと思ってたよ。
そしたらついに走り出す。ちんぴらたちが二人を発見し、ほうほうの体でトラックの荷台に乗り込んで難を逃れる。このシーンは盛り上がった。おう!やっとはじまったぞ!いいぞいいぞ!さあ、このイキオイでドライブしまくれ!・・・あれれ・・・また止まっちゃった。
逃げ出した二人が高級ホテルで立ち止まり、映画も立ち止まってしまう。その後しばし、二人の恋の鞘当てラブコメディになっちゃう。あ〜あ、つまんねー。
クライマックスでぽんこつカーアクションがあって、そこはちょっと好き。鈍くさいワゴンを軽が追いかけるの。しかも周りはのどかな田園風景。ぽんこつカーアクションなんて素敵なアイデアなんだから、もっとカーアクションしてほしかったけどね。
矢口監督も満を持して新作に取り組んだわけだから、もっとシナリオのいらない部分をそぎ落として、演出の目指すべきトーンを考えてから撮影に入ればよかったのになあ。前作とちがって複数のキャラクターが入り乱れる逃走劇なんだから、タイトル通りのドライブ感を意識しなきゃ。そうすると、ひとつひとつのシーンの長さやセリフの量がちがう設計になってきたはず。そして全体にも出だしはコンパクトにして主役二人の煮え切らなさはあまり彫り込まなくていいってコトになってたはず。
でも矢口監督のセンスには期待しちゃう。この映画の「ぽんこつ」さは好きなの。時代にあってると思うし。次はもっと資金集めて、でも「ぽよよ〜ん」や「ぽんこつ」を大切にした別の物語に挑んでほしい。
商品価格:2000円
いろいろけなしつつ、この映画は意外に商品価格は高い。「ひみつの花園」の公開状況を知らないんで比較しにくいけど、だんぜんお高い価格になるはず。ただしシネアミューズでの単館上映だと2000円止まりだけど。シネマライズならもっと高まるんだけどね。まあでも、渋谷という土地にあった映画だからシネアミューズでもいいけどさ。
価格の高さは安藤政信とジョビジョバの出演がまず大きい。そして何よりタイトル。アドレナリンドライブ。すごく平成なムードがしていい。タイトルのロゴデザインもまた今風でいいしね。そういう細かなデザインも意外に大きいのよね。そうしたイマな感じが、例えば「この映画がすごい」8月号での3ページに渡る特集記事につながるんだな。
ただ、石田ひかりはどうだろう。商品価値的にはややマイナスじゃないかな?彼女には演技派優等生なにおいがして、こういう映画には合わない(あくまで商品的な意味で)と思う。安藤とジョビジョバで出演者の商品価値は十分だから、ヒロイン役は思いきって新人をオーディションすればいいのに。石田ひかりってフェロモン弱いから、そういう意味での魅力的な女優を発掘すれば、映画のムードはまたずいぶんちがっただろう。こういうことは、プロデューサーが監督にアドバイスしろよ。
ぼくが観たのは水曜午後4時の回で、小さな小屋だとはいえ8割方埋まってた。商品価格が高いと、ちゃんとお客さん来るのよね。
独断価格:800円
「パラサイトイブ」の落合信幸監督。菅野美穂、稲垣吾郎、宇津井健が出演しているサイコホラー。東映の「鉄道員(ぽっぽや)」とともにヒットしている。あるデータによれば、先週、先々週と興業成績1位が「鉄道員」2位が「催眠」。洋画をおさえて邦画が1位2位を独占なんて、普通じゃないよ。
しかしこの映画、とんだB級ムービーなんだよね。こんな映画がヒットしちゃっていいのかね。
原作は同名の小説。ぼくも読んでいたんだけど、まあまあうまくまとまった面白い小説だった。でも映画は完全にちがう物語に変えてしまってる。怒れよ、原作者。
ある日、同時刻に三件の謎の自殺事件が起こる。死んだ者たちは皆「緑の猿がいる」と言っていたという。定年間近の刑事(宇津井健)は心理カウンセラーの青年(稲垣吾郎)の協力を得て捜査に乗り出す。やがて怪しい催眠術師と行動を共にする、心の病んだ美少女(菅野美穂)が事件の鍵を握るらしいことがわかるのだが・・・。
という最初の方はいいのよ。なんだ悪評を聞いたけど面白そうじゃん、と思ったね。場面場面の演出もなかなか怖い。
映画が進むにつれて「おい、それちょっとおかしかないか?」がだんだん出てくる。終盤に向かってどんどん増えていく。
自殺者の一人の白血球がどうのってあれどうなったんだよ!最初に同時刻に自殺したのはなんでだよ!実相寺はどうやったらあんな殺され方出来るのさ!いつのまに殺されたんだよ!吾郎ちゃんはなんで菅野とあっさり寝たんだ!なんで催眠を菅野が出来るんだよ!吾郎ちゃんに与えたサインはなんで「アイシテル」なわけよ!
なんつーか破綻しとるわけ。なんで脚本の時点でこの破綻に気づかない?監督が頭が悪いのなら、誰か教えてやれよ。
そしていちばんアカンのは、この映画は「CURE」を安っぽくパクってるの。「催眠が心の中の悪魔を引きだした」ってのは原作にはなく「CURE」にはある。全然ちがう物語に無理やり「CURE」の物語のホネをぶちこんじゃったもんでムチャクチャなことになってるんだよな。ぼくは「CURE」の物語の畳み方にブイブイ文句言ったけど、あれは好きだからこそ文句言ったわけで、この映画への文句は質が違う。なんつーか、「CURE」にはあった知性と品が、この映画には決定的に欠けてるの。
さらには、明らかに「女優霊」「リング」の真似をしてたり、いろんなサイコ・ホラーを意識的にか無意識にか真似てる。オマージュなんていうカッコいいもんじゃなく、真似。それこそ催眠によって無意識に下品な真似をしちゃってるんじゃないか。
という、この映画は部分的には面白い点が多々あるけれど、全体としては欠陥商品だと言わざるを得ない。PL法に基づいて訴訟でも起こしてやろうかしら。
商品価格:3000円
しかしさっきも書いたようにこの映画はヒットしている。これはまず宣伝のおかげ。
ポスターを作っているのは「リング」シリーズのアートディレクター。ってそれはぼくもよく仕事する知り合いなんだけど、彼の手腕は大きいと思う。上質なホラーをイメージさせるモノに仕上がっていて、まさかこんなくだらない映画だとは思えない。
それに公開直前のテレビCFも効いた。何しろ部分的には面白い映画だから、その面白い部分をつなげば面白そうに見えるわけ。
そういう、全体に醸し出される雰囲気が上質なもんで、「学校の怪談」や「リング」で日本のホラーは面白いじゃん、という認識が出来ていた人々に訴求力が高かったんじゃなかろうか。公開前に吾郎ちゃんが盛んにテレビに出てパブリシティ活動してたのも大きいかな。
落合監督は「パラサイトイブ」に続き、ヒット作を世に出した。両方ともつまんない低級な映画なのにね。映画界ではもてはやされちゃうね。いいのかよ、そういうことで。
独断価格:2800円
メディアをテーマにした作品らしいと前々から気になってたんだけど、なかなか機会がなかった。大岡山に出来た新しいTSUTAYAに行ったらあったんでさっそく借りて見た。
井坂聡監督、浅野忠信主演。製作はエースピクチャーズとなぜか西友。小さなシナリオ賞をとった脚本の映画化らしい。
盗聴マニアのフリーター(浅野忠信)を取材するテレビディレクター(白井晃)。彼のほかはカメラマンと女性のADという三人のクルー。取材が進むうち、暴力団の拳銃受け渡し場所に関する電話を盗聴してしまい、事態は思わぬ方向に進む。・・・てな話。
これはちょっといろんな意味で面白い。
まず、映画に登場する画面はすべて、取材クルーのテレビカメラが写した映像なの。(というかあくまでそういう設定、なわけだけど)最初から最後まで、100%そうなの。だから他の人物は画面に出てくるんだけど、カメラマンだけは最後まで出てこない。でも声だけは、登場する。この設定を最後まで通したのは、えらい。普通、途中でくじけちゃいそうだけど。「トゥルーマンショー」でも似たことやろうとしてたけど、100%じゃなかったもんね。
映画は盗聴マニアを取材する場面で進んでいく。いろいろとインタビューするんだけど、それがオンエア時の編集された状態ではなく、テレビカメラが見たまま、編集後にカットされるだろう時間も含めて映画になっている。だからディレクターが青年に「もっと自然にやってよ」と言ったり、カメラマンが「これでいい?」と聞くとかが「ヤラセなし」で映し出される。それはもちろん、「ホント」と思われているテレビがいかに「演出された」ものかを語っているのだけど、それが説得力を持つのは、役者たちの演技によるところが大きい。この映画はどのように演出されているのか、あるいはどのように演出しない演出をしているのか、興味深い。とにかく、浅野忠信と白井晃がもうそれぞれになりきっていて、本物の盗聴マニアとそれを取材するテレビ屋に見えてしまう。
そのリアリティはやがて、マスメディアの人間の図々しさや思い上がりを際立たせていく。それがやがてごく普通のフリーターの心に潜んでいた凶暴さを刺激してしまい、彼はキレる。このあたりの話の流れも自然と言うか説得力があると言うか。つまりテレビ屋というぼくたちの嫌らしい好奇心を極大化したようなキャラクターにも、キレた青年というぼくたちのイライラを肥大化したようなキャラクターにも、どちらにも自己同一化できてしまう恐ろしさがある。ここで描かれているのは紛れもないこの国の「現代」であり、テレビ屋も青年もぼくたち自身なのだ。そういう、時代に切り込む迫力を、「テレビカメラの映像」という鋭利な手法でこの映画はカタチにしている。
それからまた面白いのが、常にカメラおよびカメラマンには「意志」が欠けている点だ。取材中、カメラマンが気にしているのは終始、「見やすいアングルであるかどうか」だったり「照明が影を出さずにうまくあてられているか」でしかない。ある意味でマスメディアの不気味さを象徴しているのはディレクターではなくカメラマン(と言うよりもカメラ)だ。カメラはただひたすらに「見たい」としか考えていないかのようだ。ディレクターの指示通りの対象をひたすら撮影する。さらに興味深いのは、キレた青年もディレクターをいたぶりはしてもカメラマンは責めない。責めないどころがまるで仲間のように「これ撮っといて」と指示する。カメラマンも仲間のはずのディレクターがいたぶられる様を冷静にきちんと撮影する。その行為には意志がなく、だから罪もない。最後のシーンで、カメラのイノセントさを象徴させるかのように、青年は美しい海の日の出の映像を撮影させる。
カメラには意志がなくだから罪が無い。だからこそ、そこにはとてつもない恐ろしさがある。ぼくは「豊田商事会長刺殺事件」の時の取材陣の意志の無さを思いだした。そしてそれは「まちがっている」とぼくは思うのだけど。
などと興奮しているうちに、突然この映画は終わる。物足りないなあと思いながらビデオのカウンターを見ると、ほんの1時間数分だった。べつに映画は90分以上、と決まっているわけではないけど、物語としても物足りないと思う。ここまで時代に切り込んだのだから、もっと思いきった展開を用意してほしかった。アイデア次第でもっともっとふくらませることはできるはずだ。(もちろん、そうならなかったのには、様々の困難や不理解があったのだろう)だからぼくはこの映画、「未完成」なんだと思う。
これはビデオで鑑賞したもので、公開時のことは全然知らないので商品価格はつけられない。だがとくに話題になることもなかったわけで、ものすごく惜しい気がする。もっと物語をふくらませ、きちんと宣伝をして全国でロードショーできれば商品価値はいくらでも高くできたはずだ。ぼくならずとも相当センセーショナルなキャッチフレーズがつけられるし、多少のはったりに十分応えられる映画にできる題材だ。いや、ほんと、もったいない。
井坂聡は、野沢尚(「眠れる森」の脚本家)の小説「破線のマリス」の映画化作品を監督するという。この原作は、テーマの現代性も、エンタテインメント性でも、かなりすぐれた小説だ。題材としては「FOCUS」に似たものなので、期待できそうではある。あとはプロデューサーがどれだけ商品価値を高められるか。そしてそれをうまく宣伝にできるか。ま、日本映画界はそういうとこ、下手なわけだけどねえ。
独断価格:900円
北野武の最新作。今回はいままでと打って変わって人情話だと聞いてはいたけど。ガックシ。ナニゲにビデオで「その男、凶暴につき」を見て衝撃を受け(実はそれはほんの二年ほど前なんだけど)「キッズリターン」まで立て続けにビデオで見たあと「HANA-BI」を劇場で観て涙ダラダラ流した身としては、「ちがう!そんなはずはない!」と泣き叫びたくなった。
浅草で祖母と二人暮らしの小学生、正男。父はすでになく、母は遠くで働いているという。夏休みに入り、友達はみな家族で出かける。寂しさのあまり、正男はもう何年も会っていない母に会いに行こうとする。その旅に、近所の宿六である菊次郎(たけし)が付き添うことになり・・・という設定はいいんだけど。
この映画は、基本的にコメディとして進む。当然、ギャグがふんだんにちりばめられるんだけど、笑えないのよ。つまんないのよ。
どうしてつまんないかって言うと、ギャグの基本がたけしがふだんテレビでやってるノリだから。馬鹿なことして、あちゃちゃちゃちゃ、てなノリ。典型的なのが、菊次郎「おい、ちょっと叩いてくれ(と肩を指さす)」正男、菊次郎の頭を叩く。菊次郎「うーん、そうそう頭・・・叩いてどうすんだこの!」。こんなギャグさあ、わざわざ映画館で観たくないよ。鼻くそほじりながら観てるテレビでなら、まあ許さないでもないけど。
中にはいくつか、映画ならではのギャグもあったけど、ほとんどがこのテレビ的三流ギャグだもんで、ちっとも面白くない。しまいには井手らっきょがすっぽんぽんになってワラかそうとする。もう、不愉快だぜ、情けないぜ、そんなの。
北野映画は「寡黙さ」が魅力のひとつだった。それがこの映画ではしゃべるしゃべる。しゃべり過ぎだよ。うるさいよ。「この子もおれとおんなじなんだなー」なんて説明的なセリフ言わせんなよ。
北野映画はずっと「質は高いが客は入らない」と言われてきたらしい。それにどう対応するか、どうしたら客が入るか、悩んできたんだろう。でも、その答がこの映画では悲しすぎる。より多くの客への理解を模索する、ことと、誰にでもわかる映画にする、ことはちがうと思う。北野映画らしさを保ちながら、もっと多くの客を誘う方法論は他にあるはずだ。
商品価格:2600円
と、半ば興奮しながら映画をけなしつつ、しかし一方で客の入りのよさに今日は驚いた。
有楽町マリオンの丸ノ内ピカデリー2が、平日1時半の回にも関わらず9割方埋まっていた。これは驚異的だ。まちがいなく「ヒット作」と呼べる。
おそらく、「HANA-BI」の評価と海外での受賞。カンヌでの健闘などがようやくいま、実を結んでいるんだろう。
通はほめるが客は入らない北野映画が、興行的にも成功を見込める北野映画になった。問題は、次だろう。次回作で「わかりやすさ」を狙いすぎたら、ぼくは逆にコケると思う。次はアクション映画らしいから、期待していいかもしれないけど。
独断価格:700円 商品価格:200円
これはびっくり!
「ヒロイン!」の三原光尋がその前にやはり関西テレビ製作で撮っていた映画。あっちはよくできた映画でぼくはべた褒めしたんだけど、こっちはどうしようもない。あまりどうしようもないんで話の種にはなるかもしれない、と言いたくなるほど。
物語の構造はよく似ている。ヒロインの室井滋は商店街の酒屋のおっかさんだけどピンポンの高田聖子はさえない中小企業のOL。おっかさんはスーパーの社長夫人と元同級生で宿命のライバル、商店街vsスーパーでバレーボールを一から習う。OLは一目ぼれの青年の恋のライバルがやはり小学校からのライバル、ピンポンが好きな青年に気に入られようと一から習う。ヒロインはピンポンの続編、いや、スケールアップした再映画化だと言える。
それにしてもピンポンはどうしようもない。まずタイトルが出た時点でどうしようも無さがにじむ。関西テレビが出資した映画のクセに、タイトルが自主映画臭い。普通、劇場用映画のタイトルは実写場面に文字が乗っかる。そこでは合成が行われるから多少費用がかかる。おそらくこの映画は予算がないために、タイトルは白バックに文字だけ。もう貧乏臭さがぷんぷんだ。それにやたらカット割が少ない。これも予算がないからだろうなあと。
貧乏臭い中、べたべたなギャグが展開される。これがちっとも面白くない。新人役者だけで演じる吉本新喜劇みたい。あまりのつまらなさに、途中ぼくは寝てしまった。ヨーロッパの芸術映画じゃないんだから、退屈させるんじゃないよ。
だから独断価格は700円。商品価格に至っては、200円以上つけようがないじゃないか。
ただヒロインと比べて感心はする。これだけつまんない映画撮った人間が、よくあそこまで進化したもんだ。シナリオも演出も、格段にレベルアップしている。むやみに明るいだけだった主人公は奥行きのあるキャラクターになっている。敵役も無目的に主人公と対立しているのが、ヒロインでは悩みも持つキャラになっている。ただ存在しているだけのその他のわき役も、ヒロインではそれぞれに彫り込まれた人間像になっている。なんつーか、ほとんど同じ物語なのに、全然ちがう人間が撮ったみたいだ。
この二作の間には、技術的にも、システム的にも、そしておそらく人間的にもいろんなことがあったにちがいない。
ピンポンがヒロインにまで成長できたのなら、ますます三原光尋には期待していいと思う。次はもう少しスケールの大きなコメディをつくってもらいたいなあ。
独断価格:3400円
森田芳光監督の新作。そして松竹のブロックブッキング最後の邦画。以降、松竹は映画製作をやめ、基本的に洋画の配給をする。まあ、その方が賢明ね。もうあのタッチは誰も見たがらないよ。でもそんな松竹最後の邦画が、ちっとも松竹らしくないタッチの映画なのも皮肉。
サイコサスペンスみたいな受け取られ方をしているけど、実は謎解き法廷もの。サイコサスペンスがあたってるからってそんな売り方しちゃあ、「ああ、セブンの真似ね」とそっぽ向かれるぞ。もったいないだろ。でもこれ、徐々に客足伸ばしてるらしいから、見た人が「意外にいいよ」と口コミをしているのかも。実際、想像以上に面白かった。
刑法第39条とは、ようするに頭のおかしな人は犯罪の責任を問わないよ、というやつ。最近、酒鬼薔薇少年や宮崎勤事件なんかで「そういうことでいいのか!」と問題視されている。
でもこの映画の本質はそういう社会性よりも、森田芳光の「いままでの法廷モノってさあ、ワンパターンじゃん、つまんないじゃん。法廷モノの定型をさあ、おれぶち破ってみたかったんだよね」という意気込みにある。もう、やることなすこと無茶。でも、その無茶がちゃーんと物語を盛り上げる目標に向かった無茶なとこがすごい。
まず構成がよくできている。法廷モノはすでに捕まった容疑者を通じて過去を反芻して進んでいくものだが、たいていイヤんなるくらい説明的だ。それを、過去の映像を差し挟みながらも、誰のどういう過去なのかはうまく隠して進めている。脚本家とみっちりディスカッションしないわけにはいかない構造で、実際綿密な打合せをして脚本を磨いたようだ。
そして、カメラワークを中心とした撮り方。やたらピンボケする。やたらアップが多い。でもピンボケはしっかり多重人格らしき容疑者への恐怖や不安を増幅する。アップは説明的な引きの絵とちがい全体がつかみづらくこれも不安をかき立てる。いずれも法廷モノの常識とはちがう、と言うより180度真逆の方法論だ。でも、「こういう方が面白いじゃん」と観客をワクワクさせるのに成功している。
さらには役者の演技。弁護士が、検事が、刑事が、法廷モノのそれらのパターンと全然ちがう。いや、考えてみればいままでの法廷モノでは、検事はどうして冷たいエリートばかりだったのか。弁護士はなぜどいつもこいつも正義感あふれる熱血漢なのか。刑事はどうしてみんな人情家で現場主義なのか。また、主人公の精神鑑定人が悩み丸出しで不安そうに自信なさ気に、でも凛としてウソを暴く姿も、新しい女性ヒーロー像だと思えた。
とにかくこの映画は、たぶん誰が見ても損のないエンタテインメントに仕上がっている。ワイルドな試みをいっぱいしていながらちゃんと娯楽に仕立てるなんざ、森田芳光はやっぱりしたたかだぜ。
商品価格:1800円
さっきも書いたけど、この映画は公開後しばらくして徐々に客足が伸びている。最初からいかなかったのは、宣伝が悪い。これについては別の文章で書きたい。
商品価格を1800円としたが、本当はもっと高くてもいい、つまりもっと稼げるはずの内容になっている。この映画の場合は、テレビスポットをかなり露出していたので、存在を知られていなかったわけではない。存在すら気づかれない邦画が圧倒的に多い中で、幸福な例だ。でもその幸福を活かせなかったのは、宣伝のまずさ。あ〜あ、もったいないなあ。
独断価格:3600円
予告などで面白そうだと思って、その期待をさらに上回る面白さだった。いろんな意味で新しいし、ちゃんとエンタテインメントできてるのも偉い。既存の映画に疑問を発しているんだけど、そこに傲りはなく、真摯にピュアな映画への問い掛けとひとつの答をカタチにしている。
ある古い建物。歴史ある大学の古びた校舎のような重みと風情のある建物。そこは、死を向かえた者があの世に行く前に「人生でいちばん大切な想い出」を決めるための場所。死者達が決めた想い出を映像で再現し、最後に上映する。それが終わるとあの世に行く。その想い出の場面を持って。
そんな設定のもと、死者達の最上の想い出を「聞きだす役」を担う人々を中心とした物語だ。その設定の時点ですでに面白い。類いまれなファンタジーだ。何人もの死者達が想い出を語り、それを映像にする作業を描きながら、「聞きだす役」数名のドラマが繰り広げられる、その基本構造が誰をも映画の最後まで惹き付ける魅力的なエンタテインメントになっている。
だがこの映画の真骨頂は、「映画ってどっからどこまでウソでホントなのだろう」という問い掛けを発している点だ。
もちろん、その設定は思いきりファンタジックでまちがいなくフィクション、つまりウソだ。素敵なウソだという点で、映画らしい映画だと言える。ところがだ。随所随所にドキュメントな要素が入り交じってくるのだ。
その最たる場面は、死者達が自分の想い出を語る場面にある。死者のうち、かなりの人間が明らかにプロの役者ではない素人達によって演じられている。そして明らかに製作者達がつくりだしたのではない、素人役者本人のものに違いない想い出が語られるのだ。ホントの想い出を語るホントのインタビューなのだ。「聞きだす役」を演じる役者達も、セリフとして、というよりホントに質問している感じがわかる。
それらがホントの想い出だったことはパンフレットで確認できるのだが、フィルムを見ているとわかる。おそらく誰にでもはっきりとわかるんじゃないか。ウソとは明らかにちがうホントの空気をフィルムが伝えてくるのだ。観客は五感で「この話はホントだ」と感じるのだ。そしてホントにはウソが絶対に乗り越えられないパワーがあることも感じてしまう。
この映画のもうひとつすごいのは、そうしたインタビューで語られた想い出を映像で再現しようとする姿を描いていることだ。それは当然、「映画をつくる現場」に似てしまう。ただし、そこにはプロの監督はおらず、そのかわりに想い出の本人がいる。そして監督そっくりに振る舞う。学生時代に市電に乗っていた想い出を再現する作業にたちあう本人。自分が帽子をかぶっていたかどうかを忘れている。その時彼は「かぶってない方が自然だね」と指示する。あるいはセスナ機を操縦していた想い出の再現。雲の流れ方をスタッフはすでに道具立てしていた。ところが彼の想い出の中の雲の流れ方はちがう。それを彼は「そうじゃなくこうだ」と指示する。翌日、スタッフの作った新しい仕掛けに大満足する彼。指示したり、ノーを出したり、まるで映画監督だ。そう、そこでは素人が映画監督になるのだ。彼らだけがどんなイメージかを頭の中に持っているのだから、彼らが監督になって当然なのだ。
こうした、フィクションの中のドキュメントの仕掛けがあるために、こんなにもファンタジックな物語なのに、全体がドキュメントのようなムードになり、いったいこれはフィクションなのかノンフィクションなのかわからなくなってくる。(これはテイストとして「萌の朱雀」に似てくるのだが、そこにいたるまでの方法論が180度くらいちがうのだから、面白い)
こうした映画としての問い掛け「映画とはウソかホントか」に物語の問い掛け「大切な想い出は何ですか」が重なり、観客に重層的な印象を与える。想い出はウソかホントか。そしてそれがウソかホントかを突き詰めることに意義はないのかもしれない。などなどと。
そうした監督の高度で複雑な想いを、カメラや照明、録音がしっかりサポートしている。下手をすれば自主映画的になりかねないテーマを、きちんと鑑賞に値するものに仕上げたスタッフの力量もかなりのものだと思う。
というわけで、独断価値3600円。いや、もう少しつけてもよかったかな?
商品価格:2000円
こうした上質な邦画は、独断価値は高くても商品価値は低くなるものだ。ぼくみたいな映画好きはコーフンしても、世間一般にはなかなか振り向かれないのが邦画の現状。ところがこの映画には商品価格2000円をつけた。高い理由は渋谷シネマライズという上映場所による。
「上質の邦画」をせっかくつくっても、ブロックブッキングがガッチと固まっている東映や東宝の配給網では、なかなか客が入らない。それは夜10時から流すべきテレビ番組をゴールデンタイムで流すようなものだからだ。
渋谷シネマライズは脈々と上質な映画をかけてきた小屋で、まったく独自の視点で買い付けを行ってきている。去年の夏、「踊るマハラジャ」というインド映画をかけ、若者たちが長蛇の列を作ったのは記憶に新しい。これは典型的な例だが、若者を中心に、映画マーケットにニュースを送り届けられる数少ない映画館だ。しかもそれが、ユーロスペースやシネアミューズなどに比べると波及効果が高い。これはスペイン坂を登った先、という「オシャレな」立地と、これまでの実績が産んだものだ。この映画館がセレクトした映画なら、上質なのではないか、オシャレなのではないか、という見方を人々はするだろう。先に書いたこの映画の持つファンタジックな要素も、小難しい映画論を語りたくなる映画への問い掛けも、この映画館で上映されることで「最先端」で「オシャレ」なことになる。
シネマライズがこの映画をとりあげたのは画期的だろう。だって邦画ははじめてじゃないかと思う(ちがったらごめんちゃい)。
すでに映画は「どこで観るか」がその商品価値に密接に関わるようになってきた。その意味でシネマライズは商品価値を上げやすい小屋だ。インディペンデントの邦画も、「どこで公開するか」をきちんと考えるべきだろう。大手が配給してくれたとしても、小汚い小便臭い小屋でかかるのなら、マイナス効果なのだ。奥山和由のシネマジャパネスクが興行的に成功できなかったのは、他ならぬ松竹系列でロードショーを展開せざるを得なかったからなのだしね。
独断価格:2300円 商品価格:800円
これを見てからかれこれ一ヶ月近く。あまりの忙しさに映画見れないしこのページの更新もできない。ぼくは映画見てもすぐいろんなこと忘れるんで、もろもろウロ憶えながら書こう。面倒くさいから独断価格と商品価格をいっしょくたにしちゃう。
自主映画出身の大谷健太郎が武藤起一のプロデュースにより劇場映画デビューを果たした作品。92年から二人で構想を練り上げただけあって、シナリオが良くできている。
最初の方は、技術的な部分が素人臭くて見てられなかった。とくに音がひどい。いやもちろん、予算の都合もあるんだろうけど、やっぱり1800円払ってみるんだからそういう部分も気になったら嫌になるもんだよ。
そういう不快感は、やがてシナリオの良さに払拭される。いや、シナリオというよりセリフかな。
主人公のタモツはうだつのあがらないフリーカメラマン。妻のミツコはやり手の雑誌編集者。タモツは稼ぎが少なくヒマ。家事一切は彼がやっている。半ば専業主夫。ミツコが相手にしてくれないもんで、マユのマンションにときどき遊びに行ってたらしい。それを知ったミツコは激怒し、離婚を申し出る。てな話。
タモツは常識的に考えれば最低にカッコ悪い。男らしくない、甲斐性がない、優柔不断。ミツコはタモツのそういうところが許せない、と言う。実際、男としては、見ていて最初はなんつう情けないやつだ、と思ってしまう。でも、だんだん、タモツが好きになる。理由のひとつは、自分の中にもタモツ的な面があると気づくから。そしてもうひとつはなよなよしてるタモツが実は、ミツコを理解し受け止めるフトコロの大きいやつに思えてくるから。
タモツもカッコ悪いんだけど、それ以上にミツコは嫌な女だ。家事の話になったら「男と女の役割を決めつけるのはおかしい」と言う。でも一方で、タモツに頼りがいを求める。矛盾してるじゃんよ。でも女の人って、多かれ少なかれそういうとこあるよね。ミツコはその誇張されたキャラクターなんだと思う。
タモツはそういうミツコに平謝りに謝る。それが情けないんだけど、でも「夫」は常に妻に申し訳ないと思っている。ぼくだってそうだもん。別に浮気してなくても、申し訳ない。なんだか。なんというか、夫は妻に死ぬまで申し訳ながって生きていくんじゃないのか。それは悲しいようで、そうじゃない。夫の妻への愛とは、「いやー、ごめんね」「いつもすみませんです」という想いがその実態なんじゃないだろうか。例えば、結婚記念日は夫が妻に何かしてあげる日、でしょ。あるいは妻は記念日を憶えてるけど、夫はよく忘れるでしょ。そこに夫婦の真実があるんだわ。
そういう夫婦の真実に気づかせてくれるこの映画は凄い。2300円の独断価値をあげてしまう。
でも商品価値は800円。なにしろ、メジャーな役者は大杉漣(メジャーとは言いがたいか)くらいだし、そもそも上映館が渋谷のアミューズでの単館。苦しいよね。この映画の製作者チームはこれからどう歩むのか。期待をこめて、次回作は商品価値を高めてほしいと思う。
独断価格:2500円
新生ガメラの完結編。これまでのものはビデオで観ていて、新しいガメラをつくろうという作り手達の意志がうまくいってる部分と、そうはいっても結局ガメラじゃんという部分との両方を感じた。「ガメラ3」もやはり上の両方を感じたが、「うまくいってる部分」がより大きくなっていて良かった。
「うまくいってる部分」とはまず特撮だ。ぼくたちは長い間円谷プロの特撮に呪縛されていたと思う。ミニチュアの街を着ぐるみの怪獣が破壊する。例えば「ラドン」は福岡を襲撃するんだけど、天神の街がそっくりミニチュアになり壊される場面には圧倒的な迫力があった。看板から電柱まで精巧につくられ、それが破壊されることに言い様のない興奮を覚えたのだ。だがしかし、それは明らかにミニチュアだった。子供が見てもわかっちゃうウソだった。それはそれでよい、と思っていた。特撮映画とは、怪獣映画とはそういうものだ、と思っていた。
そうした怪獣映画のある種の常識をこの映画はひっくり返した。ガメラシリーズはいままでも、ひっくり返そうとし続けてきた。いままでのもひっくり返していた、と言えなくもない。だけど三作目でついに完全にひっくり返した。どれどころか、平成の日本特撮の新しいモデルが完成したと言ったほうがいいだろう。もう、明らかにミニチュアとわかる街の破壊はおしまいなのだ。本物にしか見えない街が壊れていくのだ。
それはハリウッド映画がとっくにやってるじゃないか、という声もあるかもしれない。だが、ハリウッドともまたちがう特撮が育ちつつある気がする。アニメの影響、ってことかなあ。実写を特撮で映像化する、のではなく、アニメみたいな自由な構図を特撮で実現する、という感覚なのかも。ガメラとイリス、そして自衛隊の戦闘機の三つどもえの空中戦のシーンがあるんだけど、その場面なんかは高いレベルのオリジナリティを感じた。
そうした特撮面以外でも、面白い部分はシナリオにもある。今回の物語のコンセプトは、ガメラも人間と敵対する、なのだ。いままでのガメラはちょっとウソ臭いくらい人間の味方だった。でも今回、前田愛演じる少女は、両親をガメラの被害で殺されているのだ。あるいは、ガメラが渋谷を舞台にギャオスと戦う場面があり、そこではガメラが身体を動かすだけで、人々が死んでいく。そりゃそうだよね、あんな巨大な亀が、ちょっと転んだだけで何千人も死んじゃうよね。マクロな視点ではガメラは正義でギャオスは悪なんだけど、ミクロな視点ではどっちもどっちなわけ。そのあたりをリアルに描く渋谷のシーンは圧巻だった。
などといろいろほめつつ、やっぱりモンクもある。前田愛がイリスという邪悪な怪獣を目覚めさせるんだけど、まずこのイリスのデザインが気に入らなかった。最近の怪獣ってみんなそうなんだけど、ごちゃごちゃしていてカッコ悪い。ガメラやギャオスの美しいデザインと比べると、ださい。触手がいっぱいあるのはいかにも今風だけど、ガメラやギャオスのデザインコンセプトとかけ離れていてなじんでないと思った。これは前作のレギオンでも感じたこと。
そしてクライマックスではイリスとガメラが取っ組み合う。着ぐるみの怪獣の取っ組み合いは、「中に人が入っております」ってことがあからさまで興ざめだ。それまでがんばってリアルな映画であり続けてきたのが、いっきにオコチャマ怪獣映画になってしまう。しまいにはあれだけ人間が大量に新でもお構いナシだったガメラが、少女を救う。いちおう理由付けはなされているけど、これもなんだかなー、って感じ。なんで彼女だけ救うのさ。
やっぱりねえ、着ぐるみ怪獣はしょせん着ぐるみなんだな。もういらないわ。東宝ゴジラにまかせとけよ。
でもねえ、この映画は邦画の新しい未来は垣間見せてくれている気がする。渋谷の破壊シーンを見ながら、ぼくは「パトレイバー2」を思い出した。あれはアニメでレインボーブリッジが破壊されたり、東京を戦車が蹂躙したりして、これが実写でできたらすごいだろうなあと思ったもんだけど、「ガメラ3」はそれができることを示してくれた。怪獣ではなく別のモチーフで都市の壮大な破壊を描く実写の映画。これをめざしてほしいと思う。
商品価格:1600円
独断価格で2500円なのに商品価格は1600円に下がる。なぜかといえば、この映画はターゲットが曖昧なのだ。
まず、子供向け映画になりきれていない。小学校高学年がせいぜいじゃないか。低学年にはハードだし、ガメラ自体はさほどの人気キャラじゃない。中学生になれば、ハリウッドの特撮をむしろ観たがるだろう。
実はいちばん観そうなのがぼく、みたいな円谷プロファンというか、言ってしまえば特撮オタクなのだ。ウルトラマン世代はみんなターゲットだとも言えるが、彼女を誘える映画ではない。一人で行くしかないのだ。彼女に言ったら馬鹿にされるので、こっそり行くのだ。
そういう男は日本中にけっこういるから、そこそこの配収にはなるだろうが、大ヒットにはまずならない。
この映画が持つ「芽」をいかに大きな市場価値にできるか、を考えねばならないだろう。
独断価格:2800円 商品価格:2800円
正式なタイトルは「ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ ウルトラマンガイア超時空の大決戦」とえらく長いんだけどね。最近ウルトラマンシリーズにお熱を上げてる三才の息子を連れて観に行ったんですわ。そしたらなかなか面白かった。
映画館で予告編を観ていて、なかなか特撮がすごそうだなあと元祖ウルトラマン世代は実はわくわくしてたりして。でもウルトラマン映画はだいたいちゃんちゃらおかしいもんだから、大したことはあるまいと思ってたんだけど。
まずタイトルに疑問を感じていた。ティガとダイナとガイアは一緒に出てきたらイカンのだけどなあと。ティガとダイナは世界が続いてるんだけど、ガイアはまた別次元の話だからね。そしたらそのあたりはきちんと解決していたシナリオだったんでそこがまずえらいと思った。子供向け映画をなめてない姿勢がね。
主人公のツトム少年は、ウルトラマンが大好き。ビデオに録って何度も観ている。ウルトラマンみたいに強くなりたいんだけど、現実はいじめっ子に抵抗すらできない。ある日彼は不思議な赤い玉を見つける。それは願いをかなえる魔法の球体だった。ツトムは願った。「ガム(ガイアに変身する若者の名前)に会いたい!」そしたら、シグファイター(ガムが乗る戦闘機ね)とともにホントにガムが現れた!
そういう設定なわけ。要するにパラレルワールドなんだね。ガムにはガムの生きてる世界がちゃんとあって、「本当にウルトラマンガイアがいる世界」と「ウルトラマンガイアというテレビ番組がある世界」が球体を通して行き来するわけ。そいで、ティガとダイナはガイアが危なくなったときにツトムが願って呼び寄せる。だから世界がつながっていないはずの三人のウルトラマンが一緒に登場できたわけ。うーん、ナイスアイデア。よくできてる。
願いをかなえる球体はまた別の面白さを見せてくれる。球体を手にしたいじめっ子が怪獣を出現させちゃうの。少年の邪悪な心が怪獣を呼びだす。神戸の酒鬼薔薇事件を思い出しちゃったんだけど、実際、怪獣は少年の邪悪な心の化身なんだな。「邪悪」が言い過ぎなら「破壊衝動」でもいいんだけど。どの子供にもある清い心をツトムが象徴してウルトラマンを呼びだす。邪悪な心をいじめっ子が象徴して怪獣を呼びだす。その両方に少年の本質があるんだと思う。
少年少女の揺れる心とパラレルワールドというモチーフは同じ小中和哉監督の「なぞの転校生」と共通している。でもあっちがちっともうまく消化できていなかったのに比べて、こっちはよくできた物語になっていると思う。プログラムピクチャーとして軽い気持ちで取り組めたからかな?「なぞの転校生」にはかなりがっかりしたから、見直しましたぞ。
独断価格の2800円は実はじぶんの分1800円に息子の分1000円を足した値段。きっちり値段分満足できました、ってこと。商品価格が同じなのも、どのお父さんが子供と観に行っても満足できるでしょう、ってこと。春休み「どっかに連れてってぇ」とせがまれて悩んだら、これを観なさいな。
しかしこの映画、子供1000円(ただし2歳から)なんだよね。しっかりしとるわ。当たり前かもしれんが。
独断価格:1500円
CF演出家の石井克人が望月峯太郎の同名マンガを自分で脚本を書き監督した映画。CF界でもマツダ・デミオのキャンペーンなどなかなか評価されている人(らしい)。
これを映画にしたい!と自分で企画書をつくってコンテもきちんと書いてプレゼンして実現したとか。それだけあって、かなりチカラ入ってる感じはある。だけど、それがやや空回りというか、面白いシーンも多々あるけれど、全体の構成がいまひとつ。組の金を持ち逃げした鮫肌男(浅野忠信)がひょんなことから、ホテルで叔父に閉じこめられてたような生活をしていた桃尻女と逃げることになる、という物語なんだけど、それに魅力的なキャラクターがからみ、からみ過ぎて焦点があいまいになってしまった感がある。話の上で余計なうえにつまらないシーンも多くあって、もう少しそぎ落とすべき部分はそぎ落としてよかったんじゃないか。それに何と言ってもクライマックスの森のシーンが盛り上がりを欠いた。あそこでもっとアクション映画としての見せ場があれば、カタルシスになったのに。アクションでいちばん盛り上がったのが若人あきらの場面だってのは、面白いけど物足りなくもあった。
でも、冒頭の銀行強盗の場面と、それに続くタイトルのあたりはやたらとカッコ良かった。他にもカッコいいとこはたくさんある。冒頭のカッコ良さで全編押しまくられてたら、構成の荒さは感じさせなかったかも。なんつうか、もっと良くなれた映画なのに、もったいない、ってところかな。
ちなみに桃尻女を演じた小日向しえは、ぼくが関わったこの冬のJR福島キャンペーンにモデルとして出演している。まだ無名なのにこんな大役もらえてよかったね。みんなも憶えてあげてね。
商品価値:2800円
1500円の独断価値が商品価値では2800円に一気に跳ね上がる。渋谷のシネセゾンは平日の初回にも関わらず9割方席が埋まっていた。これは単に浅野忠信が主演しているからではない。シブヤな若者たちにとって「ぼくらの浅野忠信」が彼らのファッションの延長線上にある姿で登場し、彼らの生活の延長線上(ただしずっと先の延長線上だけど)にあるスタイルで描かれたアクション映画だからだろう。菊池武夫の衣装を着て、ぼさぼさヒゲをはやして拳銃片手に走る浅野は、渋谷をうろつく彼らにとって「メチャクチャカッコ良くしたおれ」なわけ。それに岸部一徳や鶴見辰吾、寺島進、なぜか若人あきら(我集院達也の芸名になっている)などがクセの強いキャラクターを与えられてからむ。そのあたりも「いい感じ」になっていて、キャスティングはうまいなあと思った。
とにかく「どうしようもないほど共感できるヒーローとその世界」を描いているから、彼らにとっては商品価値が高い。それをおそらく狙っての渋谷での単館上映もますます価値を高める。テアトル新宿ではダメなのだ。渋谷じゃなきゃ。
最近の日本映画は「Shall We ダンス?」の二番煎じ的な狙いのものが多い。「卓球温泉」もそうだし、「のど自慢」を松竹と東宝がとりあったというのも、その影響だろう。そういう、中年層を意識した結果、若者にはそっぽ向かれて結果的には興業を失敗している。「踊る大捜査線」など、若者が見たいものをつくれば若者が来るわけで、やっぱり映画は若者の心をウズウズさせるものであってほしいと思う。まあ、日本映画界は製作にGOを出すのがジジイばっかだから、なかなかそうはならんだろうけど。