プロ野球を社会科する/第3回
〜原にみる華麗なる転職〜
原辰徳が引退するとき、ああ、こいつのユニフォーム姿を見るのもこれが最後か、と目をうるませたものです。でも、そんなことなかった。バットを手にした原の姿は、今テレビで盛んに流れています。ユニフォームは「GIANTS」じゃなく「MALTS」だけど。そこでは、現役時代あまり見ることのできなかった「闘志」を見せてくれて、そうだよ原あ、そんなお前が見たかったんだよお、とかけ寄って抱きしめたくなります。
ん、でも待てよ。このCMで原辰徳を演じているのは、他ならぬ原自身です。絵コンテを見せられて「ここでこう、ベンチ裏でこっそり悔しがってください」とか言われて、「なるほど、わかりました」と言ったわけでしょう。その「なるほど」には「そうかここで現役時代おれがあまり見せなかった闘志を見せて視聴者をじーんとさせちゃうわけだな」が含まれていたにちがいありません。
計算しているわけですね、ちゃんと。「原辰徳」というキャラクター商品をしたたかに演じている。「イマイチ頼りない巨人の四番」という過去があるからこういうCMになるわけで、「バカにしとるんかあ」と灰皿のひとつも飛ばしかねない。でも野球ファンとしてはたまらなく感じるシーンなわけです。原ほど多くの人に愛された選手はいないでしょうし、それは頼りないとこも含めてなわけですから。それを原はわかっている。
引退なんかしないで他のチームでもいいから現役続けてくれよお、と願っていた巨人ファンの一人としては「してやられた」かんじです。そっかあ、そういう風に生きていくんだ。それもありかもなあ。考えてみれば「現役にこだわれ」ってのはファンの勝手な言い分だったかもしれません。
で、ふと考えると、ぼくたちは「○○にこだわる」にこだわりすぎていないでしょうか。途中でやめることになんか罪悪感を持ってしまうような。苦しくても一度はじめたらやり通せ、という体育会的精神主義が体育会の外にまではみ出して生活のあらゆる局面に蔓延しています。原に対しても、現役にこだわれよお、とそういう精神主義に単純に乗っかって言ってた気がする。
こういう「こだわれよお」思想が、典型的にあらわれるのが職業や会社に対してです。あなたも仕事する上で「○○道」みたいな精神主義を自分に押し付けてません?「営業道かくあるべし」みたいなの。そういう感覚から、そろそろ自由になるべきなのかなあ、と原を見て思ったわけです。だから例えば、リストラにおびえることなんかないんですよ。割り増し退職金さっさともらって、「○○道」なんかポイと捨ててぜ〜んぜん違う人生歩む方が、これからはカッコいいのかもしれませんぜ。
ユニフォームを脱いで、原は気のせいかハツラツとして見えます。「現役にこだわれよお」と思っていたあなたも、「おお、元気にやってるな」と祝福してあげてくださいね
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