プロローグ

ぼくは誰だ。あなたは誰だ。


ある日、いつものようにマッキントッシュのキーボードを叩きながら仕事をかたづけていると、突然目の前が暗くなった。
「うわ!」
重力の感覚が失われ、上も下も左も右もわからなくなった。
「やあ」
唐突にぼくに話しかけてきたのは、日本人のような欧米人のような男のような女のような人間だった。年令は60歳にも30歳にも10歳にもみえた。「やあ」と書いたがそれはほんとうは日本語でもあり英語でもあり中国語でもあるようなわけのわからない音だった。しかしぼくの脳みそはその音をはっきりと「やあ」と解釈できていた。


「あんた誰?で、ここはどこなの?」と尋ねると、その人間はこう答えた。
「ぼくの名はガイア。そしてここは、インターネットさ。」
そうか、ここがインターネットか。さいきん、ぼくが使ってるような小さなマッキントッシュからも出入りできるようになったとは聞いてたけど。何かのはずみで、入り口の扉を開けてしまったらしい。
今度はガイアがぼくに質問をしてきた。
「で、あんたの方は誰なの?何者なの?」
「ぼくの名は、サカイオサム。東京でコピーライターをしている。」
「うううううん」人の名前を尋ねておいて、ガイアは渋い顔をしながらうなった。ぼくの答えが気にくわなかったのだろうか。


「そういうことじゃないんだよねえ」
何が言いたいのかわからない。
「そういうことじゃないって…。君がぼくが誰かって聞いたから、答えただけじゃないか」
「いや、だからあ!」呑み込みの悪い中学生に苛立つ教師のように、ガイアは言う。
「君の名前や職業が聞きたかったんじゃないの。そんなことここではたいした問題じゃないんだ。名前や職業じゃなくて、君が何者かを知りたいんだなあ。」
「はあ?」ぼくはますますわからなくなった。名前や職業以外に、<ぼくが誰か>を説明できる要素なんて何があるって言うんだ。住所でも言えばいいのか?一児の父だと言えばいいのか?いや、どうもそういうことじゃなさそうだ。


「つまりね、インターネットって空間は、仮想現実なんて言われてるみたいだけど、ある意味ではここにこそ現実があるんだ。どういう職業か、どこに住んでいるかなんてここじゃほとんど意味をもたない。そんなどうでもいいことの奥にある、ほんとうの意味での<あんた>が何者を知りたいんだよ。」
そういえば。
ぼくはある友人のことを思い出した。彼は、ずいぶん前からインターネットに入り込んでいて、デヴィッド・ボウイのホームページを片手にうろうろしているという。そのホームページは素晴らしくよくできていて、たった数か月で、彼は世界中のボウイファンの間で有名人となったらしい。そこでは、彼が独身の日本人で雑誌の記事を書くライターを職業としていることなどほとんど意味がないわけだ。
彼は何者か。現実世界では彼は<ライターである>わけだが、インターネットの中では彼は<熱烈なボウイファン>なのだ。そして、そっちの方がよっぽど本質的な意味での<彼>なのかもしれない。
しかし、ぼくには何があるというのだろう。職業以外にぼくの本質を語るものなんてあるのだろうか。


「まあ、いいや」とガイアは、しょうがないなあという顔で言った。
「そのなんだっけ?コピーライター?とりあえずそっからはじめてみてよ。で、いろいろたどってけばいいじゃん。誰にでもねえ、あるんだよ、<自分は誰か>の答えは。しかも、答えはひとつじゃない。たっくさんあるんだ。そのどれもが<じぶん>なんだよ。だから自分の中を探検していけば、おのずと見つかるから。だからあんたの場合、そのコピーライターってとこからはじめてみなよ。わかったかい?」


次の瞬間、ぼくはマッキントッシュのモニターの前に戻っていた。
なんだか白昼夢のようだったが、ガイアとの会話が夢であったのかどうかなど、もはや問題ではなかった。たぶん、インターネットが現実ではなく、また現実でもあるように、あれは夢でもあり現実でもあったのだ。
「とにかくあいつの言うようにやってみるか」
ぼくは自分のコピーライターとしての作品集をひっぱりだし、ホームページづくりをはじめた。そして作業をしながら、つぶやいていた。
「ぼくはいったい、誰なんだ?」


さあ、ぼくのホームページをご覧ください。
もし一通り見てもらえたなら、
「アップデートへのプロローグ」もぜひ見てね。

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