性差別問題

2-A

コピー室から戻ると、時計は3時を10分ばかし回っていた。しまった。と卓哉は思った。

卓哉の所属する部署に、男性は二人だけ。一人はもう50を過ぎた、沢口である。3時のお茶は卓哉が毎日出すことになっていた。なっていたと言っても、沢口と相談して決めたわけでも、ましてや室長やその他の女性社員と話し合って決めたわけでもない。卓哉が一年半前にこの会社のこの部署に出向した時から、自然とそうなっていたのだ。

本社の営業にいた頃なら、卓哉もそんな風潮には公然と刃向かっていた。なぜ男性だからお茶くみをするのか。コピーとりをするのか。仕事を任せてもらえないのか。同期の男子総合職の連中とともに、上司や女子の同僚に食ってかかっていたものだ。だがそんな情熱はすべて本社に置いてきてしまった。出向が決まったときには、すでにそういった会社の女性社会のシステムに反抗する気力は失せていた。

「タクちゃん、遅いじゃない。あたし今日は紅茶がいいなあ。さっき来たどっかの業者さんが、バウムクーヘン持ってきてたはずだから、出してよね。」

第二係長の竹内が、コンパクトを開いて口紅を塗り直しながら言った。係長とは言っても、卓哉は第一係の所属だから、直接的には上司ではないのだが。

本社にいた頃、デスクで化粧をすることについて問題にしたことがあった。そこそこ淑女としての常識があると思っていた上司でさえ、平気でデスクで化粧を直すのだ。しかも、それは会社の中だけ。彼女らも、喫茶店など公衆の面前では決してそんなことはしない。彼女達にとって、会社とは公衆の空間ではないらしい。そのことがいかに恥ずかしいことであるかを、卓哉達若い男子社員は力説したのだが、上司達はどうしてもピンと来なかったようだった。なのに、時々行儀の悪い男子社員がデスクで電気カミソリを使うと、最近の男のコはしつけがなってない、とののしるのだ。その空回りに、卓哉はこのことについてとやかく言うのをあきらめた。

急いで給湯室の前まで行くと、他の部署の男子社員達のおしゃべりが聞こえてきた。だが卓哉と目が合うと、ぴたりと話をやめた。三人いたのだが、卓哉とは目を合わせず、一人などはあからさまに口笛を吹きはじめた。

彼らはいわゆる一般職で、卓哉よりも5才ほど若い。本社から出向してきた卓哉と違い、この子会社に就職した連中だ。卓哉は彼らが陰で自分を悪く言っているのを、なんとなく感じていた。

彼らにしてみれば、卓哉は高学歴を鼻にかけ、本社で女子社員と張りあって敗れた惨めな笑い者なのだ。そしてその見方は、大方間違いではない。

彼らは明らかに、結婚までの腰掛けでこの会社に入った。卓哉の存在は、そんな自分たちの生き方の正しさを実感できる好材料なのだ。男が仕事で女性と張りあうなんて、バッカみたい、なのだ。

卓哉は彼らと仲良くすることを、はなからあきらめていた。陰口を言われないように、媚を売って仲間に入れてもらうのは、今までの自分の生き方をすべて否定してしまうようで嫌だったのだ。自分が挫折したのは間違いないことだが、それは自分が間違っていたのではなく、会社が、世の中がおかしいのだと思いたかった。

給湯室からバウムクーヘンとお茶を盆に入れて戻り、15名ほどいる部署の人間に配っていった。一応にこやかに愛嬌を振りまきながら。卓哉は自分がまずまずの二枚目であることを知っていた。もう30になったとはいえ、上司や先輩女子社員達が、自分がお茶を配ることを多かれ少なかれ喜んでいるようだと感じていた。ハンサムな若者からサービスを受けることが嬉しいらしい。最初はそれが嫌で嫌でたまらなかったが、最近はむしろそのことを少しは積極的に楽しむことができるようになってきていた。

大学で同期だった友人が似たような境遇にあり、その男は確かにお世辞にも二枚目とは言いがたいのだが、上司に「ブオトコのいれた茶はうまくないわね」と露骨に言われたそうだ。それに比べれば、いくらかはマシだ。女性社会にたて突くより、少しでも傷つくことなく毎日を過ごすことを考えるようになっていた。そんな自分が情けなくなることもあるが、少なくとも疲れなくてすむ。なにしろ本社でさんざん反抗して、何も変らないことに「疲れた」からこそ、出向の辞令に逆らわなかったのだから。

第一係長、つまり自分の直属の上司である吉沢のデスクにお茶を置いたとき、熱心に書類を見つめていた吉沢が目を上げて言った。

「あ、中山君、今日は少々残業してもらえるかしら。明日の業務会議にうちから出す書類が遅れちゃってるのよ。」

「はい。わかりました。」

この部署に配属になって唯一の幸運が、吉沢の部下になったことだった。他の人間はさっきの竹内に限らず、卓哉のことを「タクちゃん」とか「タックン」などと呼ぶのだが、吉沢だけはちゃんと名字の中山で呼んでくれる。また先輩女子社員が頼んでよこす雑用があまりに目に余る時は、それくらいは自分でするようにと諭してくれた。吉沢とて、卓哉がお茶をいれることには何の疑問も持ってないわけだが、それでも他の女性上司とはえらい違いだ。相対的に見れば、今まで出会った上司の中でもだんぜん男子社員に理解があると言える。38歳、小太りで厚化粧。女性としての魅力はまったくないのだが、そんなことはどうでもよかった。他の先輩社員ならともかく、吉沢の仕事なら、心から手伝ってもいいと思えた。

(つづき)


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