●1992年/日本テレビ・劇空間プロ野球「巨人を観ずにめしが食えるか」

<解説>
中堅広告代理店のコピーライターだったぼくは、入社5年目まで、サエない広告ばかりつくっていた。何をやってもうまくいかず、どうしても自分で納得のいく広告ができず、悶々と悩んでいた。だからといって自信がなかったわけでもなかった。努力すれば、きっといい広告ができるはずだ。おれはこう見えてけっこうすごいやつなんだ。なんの根拠もなくそう信じきっていた。
ある時期から日本テレビの担当になった。とはいえ、規模の大きい仕事はなく、小さな新聞広告や、番組宣伝の中吊りポスターなんかをつくっていた。
「劇空間プロ野球」ももともとは、新聞3段程度の小さな話だった。でもぼくはなぜかこの仕事に今まで以上の情熱を注いだ。会社としても、日本テレビの看板番組である野球中継の広告でいいものができれば広告代理店としての株が上がるので、それなりのエネルギーを傾けてくれた。なにより、日本テレビ側の野球中継の新しく担当になったプロデューサーが情熱あふれる人物で、ぼくたちのやる気を引きだしてくれた。
問題は、視聴率の低下だった。数年来じわじわと下がっていた。巨人人気を支えてきたお父さんたちの年令が上がり、若い層がついてこなくなってきていた。30代のサラリーマンが帰ってこないかぎり、プロ野球中継の未来はなかった。
30代を呼び戻そう!30代といえばみんな見たのが「巨人の星」。でもなあ。飛雄馬がいまさらでてきて巨人戦を見ろと言ったってなあ。
だが他に出たアイデアもインパクト不足だった。小さな規模のキャンペーンで巨人というでっかい商品を動かすには、何かの強烈さが必要だと思えた。
ある晩。
当時住んでいた、武蔵境駅から15分のボロアパートへの帰り道。ふと気づいた。あ、一徹さんがいるじゃないか。一徹さんはいいよな、味があって。ターゲットもお父さんたちなわけだし、一徹さんが一巨人ファンとしてメッセージすればいいじゃん。やっぱ一徹さんは怒らなきゃな。巨人を見ろお!ってかんじ。あ、まてよ。一徹さんといえば、ちゃぶ台ひっくり返しだよな。ばかもーん!とか叫んでひとこと。巨人戦を観ずして、飯なんか食えるかあー!なんちゃってな。
ん?「巨人を観ずして、めしなんか食えるか。」……。おお!いいぞ!「巨人を観ずに、めしが食えるか。」だな。うん!いけるいける!そうだ、野球中継はだいたい夕飯時だしな。うわあ、そんなことまで考えてあるかのようにぴったし!いけるぞ!
日本テレビのプロデューサーは慎重に考えてくれたうえでのってくれた。おそらくはこの案でいける、と思ったのが半分で、あとの半分は、「こいつがこんなに一生懸命言うんだからこれでやらせてみるか」ってなことだと思う。幸せな仕事には、幸せにしてくれるクライアントがいる、ということをこの時学んだ。
おまけに、新聞3段程度の仕事だったのが、朝日と読売の夕刊ラテ面10段(あのテレビ欄の下のとこね。目立つぶん、おさえるのに苦労する)にふくれあがった。クライアントの、どの紙面でどの広告をやるかを決める人のはからい。これも、ぼくたちががんばっているのを見て、その人がそこをプロ野球中継に割り振ってくれたんじゃないかと、勝手に思っているんだけど。
かくして、この広告は世の中に出た。
話題になるはず、というぼくの計算以上に話題になった。少なくとも、スポーツ新聞の紙面のなかでは流行語になった。野球4コマ漫画のネタになったりした。一般の週刊誌などでも、「こんなことやんなきゃいけないくらい巨人人気は危ない」ってノリでだけどとりあげられた。日本テレビの担当者は、とにかく話題になればこっちのもんだ、と喜んでくれた。
ぼくはこれで、念願だったTCC新人賞をもらった。賞もうれしかったけど、自分のつくったコトバがスポーツ新聞や週刊誌の紙面で踊っているのが気持ち良かった。
ほら、おれってなかなかすごいやつじゃん、と自分にイバった。でももっとすごいやつかもしれないんだぜ、と自分を鼓舞した。コピーライターの醍醐味を味あわせてくれた仕事だった。
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