せっかく応募があったのに、怠けてしまってもう一週間経っちゃった。いま仕事はヒマなのに。ヒマな時ほど、こういう余技にもエネルギーが向かなくなるものさ。
というわけで、Sさん応募による「Samurai Fiction2」の続き。
前回は、「セットアップはできているね」ということを書いたね。で、それはハリウッド映画のシナリオの教科書を書いたリンダおばさんの講義に沿ったものでした。
で、リンダおばさんの講義によれば、映画とは3つのアクトからできており、それは大まかに30分、60分、30分の三つに分かれると。合計すれば当然、120分。ハリウッド映画はほとんど120分を目安にできているでしょ。
つまりリンダおばさんは、映画は「起承転結」ではなく「序破急」だと断言している。いやまあ、前回書いたセットアップを分けてとらえれば、結局は起承転結になるから、古典的な解釈をしていると言えるか。(セットアップをアクト1に含むととらえるか、含まないととらえるか、リンダおばさんの書き方ははっきりしない。「含む」で正解みたいだけど)
でも「なるほど」と思わされたのは、3つのアクトは2つの「ターニングポイント」で分かれるのだそうな。これは各自、好きな映画で最初の30分と最後の30分のあたりで何が起こったかを思い起こせば「確かに」と思うだろう。最初の30分では物語を大きく転がしていく出来事が、最後の30分のあたりには、物語を結末へ向かわせる出来事があるんじゃない?
セットアップ、3つのアクト、2つのターニングポイント。そんな風に映画をとらえると、ミステリーなんか「構造」はカンタンにできそうな気分になる。
殺人事件が起きて刑事が呼ばれました=セットアップ(セントラルクエスチョン=刑事は犯人を捕えられるか)、その事件に刑事はとてつもなく不可解な点を発見しました=第1ターニングポイント、第二第三の殺人事件が起きて刑事は全然糸口がつかめません=アクト2、刑事は重要な手がかりを発見しました=第2ターニングポイント、手がかりをもとに刑事は犯人を追いつめ見事捕まえました=アクト3。
映画のストーリーの基本構造は意外にシンプルなんだと思う。またこの基本構造がシンプルにできていないがために、なんだか失敗しちゃってる映画も多い。とくにセットアップの部分でセントラルクエスチョンが明確に提示できず、またアクト3でそのクエスチョンが解決できないと、映画好きのためのアートとしてはともかく、商品としては欠陥となってしまうんじゃないかいな。
一方で、アクト1とアクト3は言ってみればあんパンのパンの部分かもしれないね。やっぱり「あんこ」がおいしくできてこそあんパン。逆に言えば、「あんこ」のテイストで映画のおいしさは決まるのかもしれない。
さて、ここでもういちど「Samurai Fiction2」を見てみましょうか。
舞台はある小さな剣術の道場。師範代のトータス松本は、師範の娘の奥菜恵に恋している。ある日、謎の美しい剣士(パフィ・大貫亜美)が道場破りに来る。トータスも師範もあっさり負かされて、剣士は去っていく。トータスはその剣士を追って旅に出る。剣士が実は女だとわかって、トータスは剣士に恋をする。で、いろんなエピソードが絡んで、最終的にトータスが大貫を斬って、苦いエンディング。トータスはさらに旅に出る。奥菜、じっと帰りを待つ。みたいな話。奥菜も「剣士」になってトータスについて行っちゃうってオチでもいいかも。
リンダおばさんの説にあてはめてみると、「トータスはその剣士を追って旅に出る」が第1ターニングポイントなんだろうね。でもって「いろんなエピソードが絡んで」がアクト2で、「最終的にトータスが大貫を切って苦いエンディング。トータスはさらに旅に出る」がアクト3か。
前にこれは適当に不完全でここでの題材としてはいい、と書いたけど、それはこのあたりの話。つまりアクト2、あんパンのあんこの部分が出来てなくていいなと。
べつにSさんを「不完全だからダメじゃん」と責めたいんじゃなく、とにかくセットアップ、アクト1、第1ターニングポイントまではかなり明確だから、続きを作ってみようぜと言いたいわけ。それはSさん自身でもいいけど、他の人でも面白いかも。
誰か、作ってみてくれ、アクト2以降を。誰もいなければしょうがない、ぼくが空想してみるけどさ。
(2000年11月6日)