FILE8:「金融腐食列島 呪縛」〜映画は流通から変わる2〜

 

昨日更新してからさっそく今日更新。これで今週末は慌てなくてすむぜ。

去年の秋に公開され、なかなか人も入っていて面白いらしいと気になっていた「金融腐食列島 呪縛」。今になってビデオで観ると、なるほど確かに面白い。いやそんな中途半端な言い方じゃイカンな。この映画、メチャクチャ面白いよ。題材がジャーナリスティックなだけに、すごくドキドキする。七面倒な内容なのにうまくわかりやすい話になってるし構造上でも細かなセリフでもシナリオがよく出来ている。それに、演出が素晴らしい!すごくゴージャスでエネルギッシュ。「お偉方の悪事」なんていうジュクジュクしたモチーフなのに、鮮やかに素敵に演出している。見直したぜ、原田眞人。

さて、FILE6で「シネコンの効果は映画ファンを増やすってだけじゃない」と前振りしておいてFILE7ではそこまで話が至らなかったので、今回はシネコンが映画産業の内部にもたらしそうな効果について語ります。

で、「呪縛」なんだけど、この映画、10月にロードショーされてヒットしたにも関わらず四週間で終わっちゃったのね。なぜかっていうと、そう決まってたから。一ヶ月後にはスピードの上原多香子とダパンプの何だっけ、名前忘れたけど、とにかく話題の二人のアイドル映画に取って代わられた。でも不入り。あまりに不入りなんで、昼間はアイドル映画、夜は「呪縛」てな興行になったりもしたんだけど、まあ客観的に見て「呪縛を延長したほうがトクだったよね」なのは明らか。

「呪縛」は全国東映系で公開されたわけなんだけど、どうして上のような状況が起きたか。東映はもっと稼げたはずなのに儲けそこなったのはなぜか。答えはカンタン。東映は興行が「へた」なわけ。アイドル映画は意外にお客さん入らないんだよね、ってこれはけっこう多くの教訓から言えることなはずなのに、話題の二人なら稼げるのでは?と思ったのか、あるいはスピードとダパンプの所属事務所が怖かったのかわかんないけど、「呪縛」をひっぱる勇気を持てなかったのね。あまつさえ、お正月映画の「GTO」には9週間もあけておいてこれがまた不入りで失敗している。スピード・ダパンプより、「GTO」より、「呪縛」に小屋を使ったほうが儲かったのにさ。

東映が「へた」と書いたけど、まあいまの東映のシステムでは上手にやろうと思ってもやりようがないかも。だってブロックブッキングシステムなんだもん。

はい、また特殊用語が出てきましたね。ブロックブッキングって、そりゃ何ですか?

東映の映画館は旧態依然たる「ケイレツ」で構成されとるわけ。あなたの近所の映画街にもあるでしょ、「○○○東映」ってのが。それは東映本社直営のものもあれば、地元資本の小屋がそう名乗ってる場合もあるけど、とにかくそこで上映される映画は東映が決めるわけ。ブッキングをブロックしてるから、ブロックブッキング。東映系の映画館主は来月は何をかけようか、なんて悩まなくても、ん?次は何、「GTO」ね、と東映から送られてくるスケジュールに沿って進めていけばいいと。

これは東映がなんとか自分を守るために編み出されたシステムなんだけど、「呪縛」のケースを見ると、もはや足かせでしかないじゃん。映画の客の入りなんてフタを開けてみないとわかんないのに、公開前からはい何月はこれで二週間後はこれね、なんて決めても効率悪いだけなんだよね。だからってんで、松竹は例の奥山を追い出したクーデターの後で「うちはもう、ブロックブッキングやめますんで」と宣言しちゃった。東映もとっととやめればいいんだけど、いろんなしがらみがあるから、おいそれとはやめられないだろうなー。でも、苦しくなってやめざるを得なくなるのは時間の問題だと思うよおれは。

ちなみに東宝はどうかっていうと、やめる必要なし。東宝はブロックブッキングが逆にうまくいってるの。

これはまず、東宝は気づいてみると(まあ企業努力なんだろうけどさ)各地での系列映画館の立地がいい。逆に東映は悪いのね。あなたも近くの映画館の立地を思い浮かべてみて。たぶん、東宝は言われてみると確かに映画を見たくなる華やかな場所にあり、東映はなんだか日陰な場所にあるんじゃない?

さらに東宝は洋画に関しても強い系列館を持っていて、最近ではうまくそれぞれを融通して使っている。客呼べそうな映画だと、邦画でも洋画系で上映したりすんの。東映にもいちおう洋画系はあるけど、なんだかひ弱。「踊る大捜査線」は大ヒットしたわけだけど、ヒットすればしただけ上映館をあれこれ入れ替えてロードショーを続けてた(こういうのをムーブオーバーって言うんだって)。あの映画、東映系だったらそこまでヒットしなかったろうね。

さて、いよいよシネコンの話。

あと数年のうちに、シネコンはスクリーン数で旧来型の映画館を上回るんだそうで。そうすると何が起こりえるか。

「呪縛」の例で言うと、まずまちがいなくもっと稼げるでしょう。だってシネコンって融通ききまくりなんだよね。東宝が足下にもおよばないくらい融通きく。何しろ十いくつだかスクリーンがあるんだもん。FILE6で書いたように「東映アニメフェア」は子供向けだからってんで午前2回、午後1回だけの上映だったわけだけど、そういう風に客層によって上映時間を絞り込んだりもできる。あるいは、当たってる映画を引っぱりたいときは、一日一回だけの上映にしてもいい。ぼくが行ったときも、一月公開の「シュリ」を日に一回だけ上映していた。つまり「呪縛」はシネコンメインで公開していれば、あと一ヶ月は公開期間を延ばせただろうと。まあ、1.5倍は配収がちがったんじゃないかな。

シネコンが変えるのは上映スケジュールだけではない。映画の配給、ひいては製作のシステムを根本から覆しかねない可能性さえある。

まず、前回書いた配給にまつわるマージン比率。映画館が50%で配給会社が50%×30%=15%で計65%。これは、たまさかこれまでの日本の商慣習に過ぎない。もう少し言うと、これで上に書いたブロックブッキングを守ってきただけのこと。これがシネコンとは少なくとも「交渉可よ」ということになってくるだろう。

例えば某県某市を核にした商圏があるとしよう。そこには繁華街に旧来型の映画館がいくつかあるけど、郊外にはシネコンもある。旧来型の映画館だと無条件で50%もってかれる。そこでシネコンに「45%にさせていただけませんかねえ。そのかわり、繁華街の館へは配給しませんから」とささやいてみる。もしその映画が「おいしそうな」作品なら、シネコンが乗ってくる可能性大(じゃないかとぼくは思うんだけど)。

さて、そうするとですよ。映画産業に革命が起こる。

日本映画はしばらく、東宝・東映・松竹の三つの映画会社が牛耳っていた。映画会社と書いたけど、実体は配給と興行を兼ねた会社で、製作は「ときどきね」ぐらいなもんだったの。もう少し悪く言うと、興行をケイレツで束ねていたから配給も仕切れちゃう、ってだけの企業体にすぎないわけ。これがシネコン(しかも主に外資の)がどひゃどひゃできてくると、もう興行を束ねてエラそうな顔できなくなってくるわけ。興行を束ねてたからこそ、日本中で映画を公開するには三社のどれかに配給してもらわざるを得なかったんだけど、束ねられなくなってきたら、配給でもエラそうな顔できなくなる。製作会社が自社で配給できる可能性が出てくるわけ。東宝?東映?んー、別にこの映画に関しておつきあいする必要ないんじゃない?なんてことが出てくるかも。

わーい、それは日本映画にとっていいことずくめ。ぼくは映画監督目指してるんだけど、将来はバラ色だねー。なんて能天気に喜べるかって言うと、そうカンタンでもない。どう難しいかって?それはまた、そのうちね。

 

(2000年3月19日)

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