FILE3:「バッファロー'66」〜わかりやすい、をあなどるな〜

 

唄をうたい絵も描くマルチ・アーティスト、ビンセント・ギャロの初監督作。かれこれ半年近く渋谷のシネクイントでロングランが続いてる。平日の4時半の回に行くと、おしゃれな若者たちが並んでた。

てっきり新感覚の映像表現ばりばりのちょっとわかりにくかったりするバイオレンス映画かなとか思ったら、ずいぶんちがった。わかりやすいの。誰でも共感できて理解できて、「新感覚」をちりばめつつもちゃんと納得のいくラストになっていた。帰り際、彼女と来てた男がまだ席を立たずに、親指の付け根で鼻の横をぐいっとやってた(つまりこぼれ出た涙をぬぐってた)。うん、君も泣いたか。オジサンも隠してたけど、泣いたよ。

単館系であろうともロングランになるほどの支持を集めるには、この「わかりやすさ」って大切なんだなーとあらためて思ったわけさ。

だってさあ、日本映画だとね、とくに単館系だとわかりにくい映画多いじゃん。わざとわかりにくくしてるんじゃない、って思うほど。わかりにくい方がえらいと思ってるんじゃないか。「説明的にしたくなかった」とかさ、よくインタビューなんかで言うじゃん。おまえ、1800円も払ってる客にさあ、何が起こったか説明くらいしろよサービスしろよ。

「シュリ」では、すべての事件が終ったあとに、しつこいくらい説明があった。ちょっとしつこ過ぎってくらい。あるいはぼくは「サイコ」を観たときを思いだす。クライマックスで恐怖のテンションが最高潮を迎えたあと、観ている気持ちとしては「え?これってどういうこと?怖かったけどなになに?」と思う。そうすると最後に精神分析医(それまで全く登場しなかったキャラクターのクセに)がとうとうと「結局どういうことだったのか」を語る。これもしつこいくらい。ちょっとしつこいかもしれないけど、サービスだからね。「シックスセンス」なんてちっともわかりにくい映画じゃないのに、帰り道で一緒に見た友人に説明されてやっと「えー、そういうことだったの?」なんて驚いてるやつもいたらしい。

単館系じゃなくても、わかりにくい映画って多いよ、日本映画は。なんか、どうせ客なんて来ないんだから評論家にほめられようっと、ってな気持ちなんじゃないかと疑いたくなるくらい。

かと思えば、おいおい、そこまで説明的にするなよ、ってのもまた多い。別にここで号泣させなくたっていいじゃんか、逆に白けちゃうじゃんかよ、とかね。

なんだよ結局わかりやすい方がいいのか、わかりにくい方が、どっちなんだよ?

要するにさ、せめぎあえよ、議論しろよ、検討しろよ、ってこと。監督にまかせっきりにするなよな、と。FILE2で書いたように世界のクロサワだって議論して検討してせめぎあったんだからさ。

いつ議論するかって?脚本の段階に決まってるじゃん。ああ、なんだまたその話か、また脚本か。

そうだよ、脚本だよ。脚本で悩めよ。一年くらい悩めよ。そうじゃなきゃ、1800円も払ってくれるお客さんに申し訳ないだろうが。な。

 

(2000年2月17日)

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