今日から「日本映画をぶっこわせ2000」は週刊になりました。ただし発行曜日は未定。今日は日曜日だけど次は土曜日かもしれない。いや、すぐに翌月曜日に更新するのかも。油断ならないぞ。とにかく確実に毎週更新する、つもり、いまは。
さて、「羅生門」を観た。ビデオで。
知らない人がいたら自分で調べてほしい。説明するのはめんどくさいから。巨匠クロサワの50年代の作品で、たしかベネチア映画祭で賞をとってるはず。
同じ事実について三人がまるでちがう記憶を語る、という唯心論的映画。映画はそもそも唯心論でできているから、きわめて映画的な題材だと言える。なんかフレッド・アステアの映画でも同じような語り口なのがあったな。
ぼくはクロサワはほとんど観てるけど、これとあと何本かを観てなくて、いつか観なきゃというわけで、今日観た。でもあんまし面白くない。やっぱり「用心棒」「隠し砦の三悪人」「七人の侍」あたりがいいね。
さて、「羅生門」はちょっとおいといて、今日はクロサワの話を。
クロサワについて語るとき、どーもイメージのねじまげがある気がするんだよね。例えばいま「雨あがる」って映画を公開している。これ、クロサワの残した脚本を、クロサワの助監督やってた人がメガホンとって、なんだか「日本映画の良心を消すな」みたいなムードが周辺に漂ってる。観てないからその中身の評価は別にして、漂ってるそんなムードはいやだなと。思うわけ。
なんかこう、いい映画をつくると、それは商業主義にはのっかれないで、でもいい映画なんだからそれでいいじゃない、みたいなムードが日本映画界にはある。それがいや。
クロサワはただ「良心的ないい映画をつくった巨匠」じゃないんだ。「良心的ないい映画をつくって、それが興行的にも大成功してきたヒットメイカー」がクロサワなの。後半部分を、みんな、忘れてる。少なくとも60年代まではそういう人だった。「ヒットメイカー」だった部分を忘れちゃって「良心的ないい映画」ばかり憶えちゃってる。そこんとこだけ真似しようとしている。日本映画がダメになっちゃった理由の大原因がそこにある、と思うんだ。
いま、興行に関して手元にデータはないけど、「七人の侍」の製作エピソードにこういう話がある。あまりに映画のスケールでかくて予算が苦しくなってきて、時間もかかりすぎちゃった。途中で東宝の上層部が、「おまえらこれ以上撮影に予算と時間を費やすようならもうこの映画やめれ」と言い出した。困ったスタッフが、そこまでのフィルムつないで上層部に見せた。そしたら「こりゃすげえや!」と上層部も納得して追加予算が出て完成し、映画は大成功したそうな。
ここで大事なのは、上層部はたぶん「こりゃ良心的ないい映画だ」と納得したわけじゃないだろうよ、ってことね。まちがいなく「こりゃすげえわ、絶対にあたるわ儲かるわ」とコーフンしたから撮影続行を許可したんだろ。で、実際、大当たりで大儲けだったわけ。
そうかクロサワは巨匠ってだけじゃなくヒットメイカーだったのか。感心した?でもホントに言いたいのはここから。
クロサワは演出にもこだわったけど、脚本にもこだわった。脚本で「うん!」と思えるまで詰めて、そこから撮影に入っていった。しかもひとりで詰めたんじゃないの。必ず何人かで詰めていったの。旅館に泊まり込んで三、四人でディスカッションに次ぐディスカッションを重ねて脚本を完成させたんだって。(旅館泊まり込みは小津もやってたんだってよ)
ちなみに、ぼくはある時点以降のクロサワ映画は「つまらない」と思っていて、具体的には「影武者」以降なんだけど、それらは(たしか)脚本もひとりで書いちゃってるの。全盛期の作品クレジットではだいたい三人か四人の名前が「脚本」で載っている。菊島隆三とかね。巨匠で天才でヒットメイカーのクロサワだって、まったくひとりで一から映画をつくってたわけじゃないんだ。何人かの脳味噌を集めて自分も含めて徹底的に知恵を絞りあって、名作は生まれた。もちろん、そんな知恵を最終的にどんなカタチにまとめあげるかはクロサワが決めたわけだろうけど。
そこには職業としての映画監督の本質がある気がする。あるいは、当たる映画とは何かの答えが垣間見えると思う。
「脚本なしに即興で演出した映画」というのがあれば、ぼくは面白そうだなと思う。あるいは、「脚本はややいい加減だけど監督のパワーが画面にほとばしっている」これも面白そうだね。でも、ぼくは映画ファンだから面白そうだと思うわけでさ。興行的に成功するには、そんじょそこらの人が面白そうと思えなきゃいけないし、見せたら面白いと思えなきゃいけない。そんじょそこらの人が面白そうで面白い映画にとって、脚本は「いのち」と言っても過言ではない。「即興の演出」とか「監督のパワー」なんてそんじょそこらの人にとってはどうだっていいことじゃんか。
クロサワは早くから天才と呼ばれながらも、脚本から演出まですべてにこだわりまくった。そこにこそ「巨匠」と言われた理由がある。そしてまた、だからこそ、ヒットメイカーたりえたんだ。
脚本っすよ。映画は。まず。この脚本でそんじょそこらの人が興奮するか、感動するか。映画の企画はそこからはじめようじゃありませんか。ね。
(2000年2月14日)