今年のアカデミー賞を総なめにしたという「アメリカン・ビューティ」を観た。面白い!そして深い!これはちょっと、何度も観たくなる映画。
主人公が妻と一人娘を持つ42歳の中年男で、ぼくと5歳しか変わらないこともあり、すっかりシンクロしちゃって涙ぼろぼろになりそうだった。おれもそろそろ中年だよな、な男性は必見。
さてこの映画、前回の話のつづきで言うと、「面白さがわかりにくい」類いの映画なんだな。
郊外に住む家族。広告会社に勤める夫、自ら不動産会社を営む(と言ってもほとんど個人経営らしい)妻、そんな両親をどこか軽蔑しているハイティーンの娘。そしてその友人の「男たちはみな自分に注目する」と言ってはばからないブロンド娘。隣に引っ越してきた軍人の父親とビデオカメラを振り回すオタクっぽい息子。主な登場人物はそんなところで、さえない中年の夫が「いい家庭、いい父親」を演じるのに嫌気がさし、娘の友人のブロンド娘にいかれちゃったり、リストラをふりかざす会社に愛想を尽かして辞めたりしていくことを中心に、それぞれに病んだ登場人物達がなんらかの決別へ向かっていく。
ああ、ほら、わかりにくいね。
この映画は本当に深い映画で、観た人となら一晩中でも語り合えるのに、観てない人には何をどう語ればいいかわからないの。
ぼくは前回、「洗濯機はおれにまかせろ」はいい映画だけど面白さは伝えにくい。一方「パラサイト」はしょーもないけど面白さが分かりやすい。それは題材が映画っぽいかどうかじゃないか、と書いた。それはやっぱ映画っぽい題材じゃないとお客さんも入らないんじゃないの、って意味だったんだけど、「アメリカンビューティ」は面白さがわかりにくい、つまり映画っぽくはない題材(何しろ普通の家庭の物語だからね)なのに今日だってお客さんいっぱい入ってた。そりゃ、アカデミー賞効果だよ、と言われればオシマイだけど、じゃあなんでハリウッドはこの物語をケビン・スペイシーとアネット・ベニングなんていう豪華な配役で映画にしたのか。そして配収がどれくらいだったかは知らないけど、アメリカでもちゃんとヒットしてアカデミー賞までとった。こんなに映画っぽくない題材なのに、なんで?
題材は映画っぽくないけど、脚本と演出はきわめて映画っぽかったのは言えるかも。
まず笑える。しかもこりゃ映画じゃなきゃ笑えないよね、というくらい、脚本が、演出が、うまく笑わせている。
それから、映像上での絶妙な小道具やモチーフ、演出がいっぱい。ビデオカメラが何度も出てきたり、バラの花があでやかにそしていろんな意味を背負って出てきたり、映画じゃなきゃできないこと、映画だからこそできることがふんだん。
もうとにかく、脚本家も監督も映画進出第一作にも関わらず、映画がわかっているというか、映画っぽいシナリオであり演出ではあったわけ。
だけどやっぱりわかんないのが、そうは言っても「ただの家庭劇」なんだよね。最後にちょっとドラマチックになるけど、家庭劇。なんでこれが映画になってしかも日米で興行が成功したのか。
実際、この脚本はいくつかの映画会社の手に渡って、みんな「うーん、これじゃ採算とれんだろ」と思ったらしい。唯一目を留めたのが、ドリームワークスの経営者としてのスピルバーグで、「これは素晴らしい脚本だから一字一句直しちゃダメ」と言ったうえに、監督を誰にすべきか考えて舞台演出で活躍中の、でも映画監督としては全くの新人に白羽の矢を立てたそうな。
スピルバーグは監督として天才だから脚本の良さを見抜き、ふさわしい監督を見いだしたのさ。いやね、そう言っちゃうのはカンタンだけどさ。スピルバーグだって「経営」をしなきゃいけないんだから、興行の成功に何がしかの確信を持ったに違いないのよね。それは単純に「これは地味な家庭劇だけど、素晴らしいんだから成功するに違いない」なんてことでもなかっただろうよ。
今回は明確な結論を出せないことを書いていて、とにかく反省するのは、「エイリアンが人間に寄生するよ」は映画っぽいから映画にしてよくて「中古電器店のさわやかラブストーリー」は映画っぽくないから映画にするなよな、なんて安直なことを前回書いたこと。
うーん、スピルバーグに聞いてみたいな。あんた、なんであれが映画になるって思ったの?根拠は何?どこ?
(2000年5月21日)