FILE12:「洗濯機は俺にまかせろ」〜その題材は映画っぽい?〜

 

ゴールデンウィークも明けたというのに、4月19日以来の更新。もう誰も週刊化なんて信じてくれないだろうな。ぼくだって信じられないもん。

何しろ忙しくて、黄金週間も全然黄金じゃなく、重たい灰色週間だった。そんな中、せめてビデオで映画を観ようとTSUTAYAに久しぶりに。散々悩んで借りたのが、「パラサイト」と「洗濯機は俺にまかせろ」。で、今回はこの二本を比べてみましょう。

両方知ってる人なら、え?なんでこの二本を比べるの?全然ちがうから比べようがないじゃない、と思うでしょうよ。でもそれを強引に比べるのがこのページじゃん。

「パラサイト」はタランティーノ一派のロバート・ロドリゲス監督がハリウッドのティーンスターを使って撮ったSF映画で、田舎の高校を舞台にエイリアンが人類に寄生しはじめ、それと戦う高校生達の物語。一方、「洗濯機は俺にまかせろ」は日本のマイナー映画シーンで注目されつつある篠原哲雄監督作。中古電器店の若者を主人公にしたさわやかラブストーリー。「パラサイト」は去年の夏公開されて「しょーもねー」との評判で、「洗濯機」は一部映画ファンの間で「なかなかいいよ」と言われていた。以上が観る前のぼくの予備知識。

さて、この比べようもない二本の何を比べたいかといえば、ぼくはどっちを先に観たでしょう、ということ。つまり、比べようなくても、ぼくは「どっちから観ようか」と比べざるを得なかったわけね。この場合、先に観たほうは確実に観るけど、その分もう一本は、観る時間ないまま返しちゃうかも、ということになる。レンタルビデオを数本借りると観ないまま返すこと、よくあるでしょ?

で、正解は「パラサイト」が先でした。そこが今回のテーマ。

二本観てどっちが良かったかと聞かれれば、「洗濯機」の方が格段に良かった。「パラサイト」と比べるのが失礼なくらい差があった。篠原監督は、かなりの才能を感じさせてくれるよ。これはラブストーリーなんだけど本質は男のコの成長物語で、大人の男になるためには尊敬する年長者を殴り倒さねばならないという話なんだわ。そのことを年上の女性との恋愛を絡めて語っていく。はっきりと語らないくせに、こいつは絶対に長野に行ったね、と思わせてくれるエンディングなんざ絶妙だ。下町の地味な物語をさわやかに上質に見せてくれた撮影や照明、録音などの技術スタッフも素晴らしい仕事をしている。

そんなにいい映画なのに、なぜ後回しに、よりによって「パラサイト」の後回しにしちゃったのか?

だってさあ。ぼくの「洗濯機」の予備知識は上に書いた程度のもの。映画ファンがほめてたっていったって、中身の面白さが曖昧じゃんか。

あるいは仮にぼくが友だちにこの映画を勧めるとき、なんて言うか。「洗濯機はなんだかいい映画だよ」「ふーん、どんな話なの?」「中古電器店に勤める青年が離婚して出戻ってきた年上の女性と恋をするのさ」「それはあまり面白そうじゃなーい」「いやこの設定がなかなか深くってね。彼は中古の洗濯機とかを直してまた使えるように甦らせるわけ。それと同じように、一度結婚して愛情生活の中古となった女性をだね、また甦らせるわけよ」「・・・それが?」「そこって面白くない?」「別に・・・」「さらにはね、実は彼女は別のさらに年上の男をずっと想っていたんだけど、その想いと決別するのね。」「ふんふん」「青年はその男を尊敬していたんだけど、そいつをぶん殴ることで彼女を本気で愛そうと決意できたわけね(説明するあまりネタバレしてる)」「ふーん、やっぱりどこがいいのかわかんなーい」「いやだからさ、うーん、とにかくなんだかいい映画なんだよ」「なんだかいい、ってぜんぜんわかんない」

わかりにくいのだ。面白さが伝わりにくい。観た人は十中八九「なかなかいい映画だ」と言うにちがいない。でも、観てない人にそれを伝えづらいのだ。

一方「パラサイト」。「ある高校で先生や生徒が次々にエイリアンに寄生されて、外見上はそれがわかんないわけ。」「ほおほお」「数名の生徒がエイリアンに立ち向かおうと集まるんだけど、その中にも寄生されたやつがいるかもしんないと」「おおー」「さらにはその仲間も少しずつ寄生されちゃうの」「うわー」「でもエイリアンはあるドラッグに弱いのね。さらにボスをやっつければいいらしいとわかるの」「へー」「あまり評判良くなかったけどSFXはそこそこ良くできてるし、ハリウッドの若手スターがいっぱい出てくるんだよね」「そりゃ観てもいいかも」

わかりやすい!

このわかりやすさには多分に「映画によくあるテーマ」だということも含まれているだろう。実際、この映画は「ボディスナッチャー」という昔の映画と設定が似てるし、映画の中でもそれが語られるほどだ。

「映画によくあるテーマ」というのは通俗的だとも言えるけど、前向きにとらえれば「映画的なテーマ」だとも言える。「映画的」というコトバはエラそうかもしれない。「映画っぽい」と言ってみよう。「パラサイト」は「映画っぽい」題材の映画なのだ。

そして「洗濯機」は「映画っぽい」題材ではない。地味な舞台の地味な青年の地味なラブストーリーだ。

だから「洗濯機」がダメだと言いたいのではない。だが、どうしてわざわざこの題材を映画にしたの?とは思う。篠原哲雄という才能を使って、プロデューサーたちはあるいは監督本人はこの題材でいい、と思ったの?「この原作はいい、映画にしたい」と考えたのでしょう。でも、それでよかったの?お客さんが来るかどうかはわかんないけど、いい映画になればいい。そうなの?映画を作るって、そんなことでいいの?

というわけで、この「映画っぽい」、ということについて、また書いていきたいと思うわけです。

 

 

(2000年5月8日)

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