●日本映画マーケティングごっこ
何をしたいかって言うと・・・
日本映画のポスターなんかの仕事してると広告屋として気づくのは、映画界にマーケティングの概念が皆無であること。もう、なんというか、これほど考えていない産業もないだろうというほど考えていない。
もちろん、映画をはじめソフト産業は普通の商品よりぜんぜんマーケティングが難しい。というか、ある程度以上はマーケティングが効かないと言い切ってもいい。でも、逆に言えば、ある程度まではマーケティングできるはずなのね。
「データに根差してやたらめったらロジカルに」ではなくても、いま世の中はこうだもんね、とぴくぴく鼻をさせながら、じゃあどうしようこうしようぐらいのことはできるはず。それすらやらず、学芸会みたいに「あれやろうぜ!おお!」と勝手に盛り上がって「おっかしいなあ、いい映画なのになぜ客来ないかなあ」と悩み、ハリウッドにはかなわないからなあとしょげたり、おれたちゃ芸術やってるんだからいいさと開き直ったりしてるのが現状みたい。それじゃ情けないだけでしょ。
コピーライターは、ビジネスの七面倒もソフトの良し悪しも、両方わかっている人種なのであーるとうそぶきつつ、見た映画を題材に、冗談半分にマーケティングしてみようという、まあそんな趣旨ね。
Data:監督/本木克英 出演/小林聡美・渡辺謙ほか
Outline:腰かけのつもりで小さな商社に就職したOLが商慣習のちがう中国を相手に丁々発止やりあいながら、立派なビジネスウーマンに成長する。中国ロケシーンもふんだんで、主人公と中国との交流も魅力のひとつ。
●キャッチフレーズはこれだ!
お茶くみなんか、
やってる場合じゃないわよ。●マーケティングのポイント
OLをコアに若い女性に売れ!
この映画は若い女性の「自分探し」へのひとつの解答を与えてくれる。バブルがはじけ、雇用機会均等法のマヤカシがあらわになったいま、若い女性は(実は既婚者も含め)自分探しに悩んでいる(まあ、いまは男もそうだが)。就職氷河期をくぐり抜けて企業に入ってもやりたいことなんかできないことに気づき、悶々としている女性がいっぱいいるはず。
そこで、キャッチフレーズでは「OLのつまらない日常」の象徴である「お茶くみ」を入り口にする。「やってる場合じゃない」がミソで、お茶くみよりカッコよく英語ぺらぺらでキャリアやるより、そんなことやってる場合じゃないほどたいへんな仕事、そこにこそ自分探しの答えがあるのだ。お茶くみを肯定するか否定するかよりも次元の高いところにビジネスの、そして人生の真実があることを、この映画は訴えている。だからこそ、何の資格も技量もないOLにも、勇気を与えられるのだ。そのあたりを、「やってる場合じゃない」に込めたつもり。もちろん、そんな場合じゃないほどてんてこまいなコメディであることも伝えている。
B級商社で「ありがとう」の主題歌を唄いながら陽気にトラブルを乗り越える主人公の姿は、彼女たちの人生に光明を投げ掛ける。現役OLだけでなく、既婚の女性、子供を持つ女性も悩みは同じで、そうした層も取りこめる可能性が高い。小林聡美なら、充分幅広い層の女性から共感を得られるだろう。また、渡辺謙演じる上司をはじめ会社の男性社員たちの、大企業社員とはちょっとちがったビジネス観は、女性につきあってきた男性観客も満足させるはず。
若い女性に特化した試写会を行い、また女性誌にパブリシティを展開して、口コミで話題を広げる。中華料理店を借りて小林聡美を呼んでの試写会など、話題性のあるパブリシティも考えられる。●問題点
松竹じゃ、若い女性には売れんわな。
この映画は、松竹系で全国津々浦々ロードショーするより、都市部のミニシアターでの公開にふさわしい。松竹のドンくさーい小屋では、OLは呼べない。もちろん、本編の前に「松竹シネクラブ」の宣伝フィルムを流すのはもってのほかである。しかし現実には、松竹系列にはミニシアターがない。「松竹シネクラブ」だけでなく、「鎌倉シネマワールド」の宣伝フィルムも流さねばならない。そういう意味では、松竹で企画された時点でこの映画の興行は失敗が約束されていた。というより、スタッフたちも興業の大成功などはなから考えてないだろう。この映画は、もともと奥山和由のシネマジャパネスクのラインナップだったようだ。つまり、シネマジャパネスクはもともと興業の失敗が目に見えていたプロジェクトだったのだ。その奥山さえいなくなった松竹。いったいどうするつもりだろう。どうしたってどうしようにもないだろうが。
それと、この映画は原作があって「中国てなもんや商社」というらしい。ちと長いので「中国」をとったのだろうが、そのおかげでこの映画のもうひとつの魅力である中国の匂いが無くなってしまっている。「てなもんや商社」では大阪商人の話みたいじゃないか。「中国」を残すか、会社名「萬福中国貿易商社」をタイトルにするか、どちらかにすべきだった。●追記
知らなかったんだけど、この映画は銀座の松竹セントラル2での単館公開だったらしい。しかも二週間限定。ぼくが観た時は、公開一週目の平日で、閑古鳥状態だった。ところが友人の話では、その週末はそこそこ混み、さらに翌週の最終日は満員だったそうだ。
少ないながらも観た人たちの口コミが効いたのだろう。ほんとうに面白い映画は、口コミだけで想像以上に広がるものだ。もっと言えば、きちんとした宣伝予算を組んで戦略的なプランのもとにPRすれば、もっと多くの小屋を一週目から高稼働率で一カ月はいけたはずだ。松竹セントラル2のようなさえない小屋でも単館なら連日立ち見もあり得た。なんとももったいない話だ。
監督は上質なうえにOLに売りやすい映画をつくった。制作スタッフも頑張った。彼らに罪はない。罪があるのは松竹だ。奥山が残した作品群をとにかく消化しちゃおう、くらいしか考えていないのだろう。その浅はかさが、結局はビジネスチャンスを失うことにつながっている。だがそんなことにさえ気づいていないだろう。情けない。
日本映画には、きっとこういう作品が数多くある。「売る」力をせっかく持っているのに、そのチャンスさえ与えられていない映画が。その暗澹たる状況は、ひとりやふたりの優れた作家が一本や二本の素敵な映画を作ったくらいでは変わらない。
まあそんな悲観はさておいて、せめて「てなもんや商社」が困難を乗り越えて最終日を満員にしたことをとにかく祝福しよう。