その映画はハウマッチ?


企画意図

99年の正月。ぼくは妻子を連れて福岡の実家に行ってた。親戚の集まりで酔っ払いの叔父叔母に二人目の子供をテキトーに披露した後、街へ行ってみた。キャナルシティというでっかいショッピングセンターが博多の街の真ん中にできていて、AMCという13のスクリーンを持つシネコンが入っているのを見物したかったの。それから福岡の繁華街、天神にも繰り出したりして。「Kyusyu Walker」という「Tokyo Walker」の九州版も買ったりして。

で、とにかく驚いたのは、地方都市の映画環境はいまやシネコンなんだ。博多の繁華街のみならず、大野城市や中間市など郊外にもドカドカとできている。福岡以外の県でもそういう傾向。500人規模から数十人規模まで、千差万別の大きさの劇場が一ヶ所にあり、洋画中心に何でも観れちゃう。「釣りバカ日誌」だってやってるんだぜ。

中洲には「ピカデリー1,2」という松竹洋画系の小屋があったんだけど、シネコンの影響でつぶれちまってる。映画館はサバイバル状態なんだな。

千人規模の大劇場が成立しにくいのはちと悲しいけど、ぼくはこれはけっこういい状況だと思う。少なくとも、去年の映画館の動員数が増えたのは、少なからずシネコンのおかげだろう。だって、「アルマゲドン」を観るつもりで行って、あまり客が多くていやだなと思ったらじゃあ「ロスト・イン・スペース」っての観るか、てな気分になるでしょ。マイナーな映画にも日の当たるチャンスが増えるわけだ。理論上は、50人規模の劇場で立ち上がった映画が、だんだん客が増えてきて500人規模の劇場に移されてやがては大ヒットになる。そんな可能性が出てきた。

さて、ぼくが思うに、そうなると映画の商品価値というものがこれから本格的に問われはじめるだろう。言っておくけど、ここで言う商品価値とは映画の絶対価値ではない。そもそも映画に絶対価値などはなく、見た人それぞれの主観的価値しか設定できない。だからぼくが言う商品価値とは、あくまで映画興行というビジネス上での価値のこと。

商品価値の付け方にはいろいろあって、何人規模の劇場でやるか、何館で公開されるか、何週間公開されるか、などなど。そしてひょっとしたら、入場料がいくらか、ということもあるかもしれない。だって「東京龍」みたいに一度BSテレビで放映されたものが普通の映画と同じ料金だなんて許せないし、「落下する夕方」のような女性に観てほしい映画はレディース料金1000円ですなんてやれば、そうかそんなに女性に観てほしいのかと思ってもらえるかも。

と、前ふりが長いけど、要するにいままで単純に思ったことだけ書いていた感想コーナーに「値段」をつけるよ、ってことが言いたかっただけ。しかも上で言うビジネス上の商品価値ではなく、あくまでぼくが思った値段。この映画なら3000円払う価値もある、その映画は300円の価値しかない、みたいな。だからあまり本気にしないでね。遊びだから、ね。


商品価値も考えてみる

「値段をつける」ってのをはじめてみて思ったんだけど、内容をもとにぼくが値段をつけても結局は「感想」を数値化したにすぎないんだなあ。なんかそれだとあまり「値段」にする意味がないと思った。それより、大勢の人にとって、大袈裟に言えば世の中にとって個々の映画はいくらの価値を持つか、を考えた方が面白いんじゃないか。少なくとも、映画について語る新しい軸を提示できるかも。そいでもって「自分にとっての価値」を値段にするのはまあ残し、両方を比べてみるとまたさらに面白いんじゃないか、というわけで、いままでのようにぼくにとっての価格と感想も書きつつ、「商品価値」も各映画についてつけてみようと思う。

考えてみたら、「日本映画をぶっこわせ」と思ったのは、映画だって商品なんだという認識が日本映画をとりまく環境に足りないからなんだよね。いや、すぐにそう思ったわけじゃなくて、なんで日本映画はこんなに情けないのかを考えはじめたら、そうか、みんな映画も商品なんだとわかってないと気づいたわけ。それは映画監督だけじゃなく、プロデューサーとか映画制作会社、配給会社、そして多くの評論家、映画通を気取るファンに至るまで。自分の思い入れだけで映画を作ってそれがどれだけの集客力があるかどうか客観的に検討しようとしないプロデューサー。メジャーだというだけで批判したがる評論家、映画ファン。映画という表現形態ほど資本主義的なものはないのにさ。億単位の制作費がかかるんだから、億単位の収益を上げなきゃダメじゃん。そんなのビジネスの基本じゃん。おっと、話が長くなっちゃった。

さて、映画の商品価値は何を基準に考えていけばいいか。ぼくは4つくらいあると思う。

1:ブランド
これは、出演する役者や監督、ひいてはスタッフや原作、海外での評価など。なんのかんの言っても、映画の市場価値はこの要素が大きい。予告編などで出演者に何々に出ていたとつけたり、「全米第一位」などと言いたがるのは、そういうことで客が動くからなわけだ。「タイタニック」のロングランに「アカデミー賞総なめ」が大きく寄与したことなんか、典型的でしょ。

2:コンセプト
「コンセプト」という言葉はいまいちなんだけど、とりあえず。なんというかなあ。個々の映画の表層的な本質みたいな。表層的な本質ってえのも矛盾した言い方なんだけど。まあまず、「西部劇」とか「SF映画」とかいわゆるジャンルがまず第一歩なんだけど、さらには「こんな西部劇」とか、うーん、説明になってない。「それどんな映画?」「鮫がさあ次々に人を襲うわけよ」と「ジョーズ」について語るみたいに、一言で言えばこんな映画、の「こんな」に当たる部分。映画批評家はこういう要素はおいといて映画について語りたがるけど、人が映画を見に行くかどうかって時にはとても重要な部分だと思う。

3:娯楽度
ここも「娯楽度」ってのはいまいちなんだなあ。単純に言うと映画としての面白さ。だからまあ娯楽度でいいわけだけど、映画の面白さは100%娯楽性かって言うとそうともいいきれないんで。そいでもって重要なのは、市場価値としては「娯楽度」より「ブランド」や「コンセプト」が先なわけね。「スターウォーズ」って、よく考えると映画としてはどうなんだろう、って思うんだけど、でもやっぱりあの「コンセプト」は市場的には魅力ある価値なわけ。一方で、「ダイハード」って「コンセプト」で見ると、刑事が活躍するただのヒーローアクションだし、ブルース・ウィルスなんかあの当時は無名に近かったのに「おもしれえ!」で日本でも大ヒットしたわけで、「娯楽度」は無視できない。スピルバーグだって「ジョーズ」が「おもしれえ!」だったからブランド性を持ったわけでね。というわけで、監督や脚本家の技量が問われるのが「娯楽度」と考えてもらえればいいのかな。

4:興業形態
カンタンに言うと単館か全国ロードショーか。なんだけど、最近はとくに、ロードショーの場合はどの系列かも見逃せないし、単館ならどこの劇場かも大きい。はっきり言って、日本の配給会社なら東宝有利、東映いまいち、松竹最悪。劇場の雰囲気に明らかな差が出ている。例えば、松竹系の小屋はポップコーンが冷えている。どうでもいいようで、意外に重要なことなんだ。またウディ・アレンの映画は恵比寿ガーデンプレイスの劇場でやるからいい、とかね。「踊るマハラジャ」も渋谷のシネマライズじゃなかったらただのゲテモノ映画で終わってたかもしれない。これからは、どの劇場で登場するかが、映画の市場価値に大きく影響すると思うんだな。

以上、4つの基準を軸に、商品価値を独断でつけてみる。1800円の入場料(これが一律だってのもどっか矛盾があるよね)より高いか低いか、で考えていく。注意してほしいのは、ぼくがここでつける商品価値は、必ずしも興行収入とは比例しないと思う。商品価値は高いけど、上映館が少ないから興収はさほどでもない、ということもあるだろうね。でもまあ、全国ロードショーの場合は比例するはずだし、単館でも高い商品価値なら長い期間上映されるだろう。また、ぼくが高い商品価値をつけても、すぐロードショー終わっちゃうこともあるかも。その場合はぼくの読みが外れたわけだから、バーカ、とか言ってもいいぜ。

日本映画をぶっこわせIndexへ