犯罪問題
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犯罪というものが、企業が犯罪代理店などを使って仕組む一種の「宣伝行為」になってからどれくらい経つのか、ぼくはよく知らない。大昔の犯罪とは、金が欲しくて銀行強盗をしたり、他人が憎くて殺人をしたりするものだったらしいが、まあそれは人類がもっと馬鹿だったころの話だ。ある時から、犯罪はするだけ損だとみんな気づいたということなのだろう。
今や犯罪は娯楽でありビジネスだ。人々の退屈な日常を刺激し、明日への活力を与える。それをバックアップすることで、企業はイメージを上げたり、売上げにつなげたりする。そうした企業から依頼されて犯罪を企画し制作するのが、犯罪代理店とぼくのような犯罪作家なのだ。いま伸び盛りの華やかな業界で、若者たちもこぞってこの業界に就職したがっているようだ。
事務所に戻ると、川崎がスポーツ新聞を読みながら待っていた。
「あ、ドモドモ。お邪魔してます。」
川崎は、犯罪制作会社リボルバー・プロの犯罪プロデューサーだ。ぼくが独立した直後からよく仕事をするようになり、もう5年ほどのつきあいになる。
「あ、まずいなあ、センセイ。川崎さんもう30分もお待ちなんですよ」
アシスタントの由美子が困った顔で言う。
「ごめんごめん。銀行に行ったら、犯罪に出くわしてさあ。」
「えっ、どんなでした?人間の十人も死にました?」
川崎が身を乗り出す。彼は一流クライアントの仕事ばかりしているから、犯罪といえば当然人間の十人や二十人死ぬものと考えているのだ。
「いや、死んだのは一人だけ。しかもあれはシナリオ外って感じだったな。犯人はどえらくビビってたもん。クライアントは中洲食品だったしね。」
「なあんだ」と川崎がせせら笑う。
「ぼくもあすこねえ、どうしてもと頼まれて仕方なく一度だけやったことありますよ。まだ東京に進出したてのころ。制作費せこいんだ。五百万で誘拐やれって言うんですよ。あんときゃまいった」
「あ、そう。今日のもねえ、ありゃあろくな作家立ててなかったなあ。いきなり『やい、金を出せ』だもん。いまどき素人さんだってもうちょっと気の利いたこと言わせるよね。」
「あすこの制作費じゃろくな作家つけらんないでしょ。でもまあ、いまをときめく犯罪作家、小柳竜太郎にかかっちゃ、どんな作家も三流になっちゃうんでしょうけどね」
「ちぇっ、そんなこと言ったって、ギャラ下がんないよ」
そう、小柳竜太郎とはぼくのことだ。まだ犯罪代理店の社内犯罪作家だったころに、20代で各賞を総なめにし、独立してからはますます飛ぶ鳥を落とす勢いだということになっている。ま、実際、32歳で銀座に事務所を持っている犯罪作家は他にいない。川崎の方がぼくより7歳も年上なのだが、どうしても彼はぼくに敬語を使う、そういう立場になっている。
「で、川崎ちゃん、今日は新しい仕事のオリエンで来たんだよねえ。」
「そうそうそう、そうなんですよ。いやこれがねえ、ちょっと大きな仕事していただくことになりそうなんですけどね。クライアントはね、カンター航空。」
「へえ、来年日本にいきなり20路線開くっていうとこだよねえ。」
「ええ、航空業界はただでさえ規制緩和で新規参入組がどっと増えサバイバル状態になってるとこへ、去年の通商交渉で運輸省が折れちゃったでしょ。アメリカ国内を制したカンターとしちゃ、いまが攻め時だってことらしいんですよ。」
「そうか、その機先を制して、大日航空があんな派手なキャンペーン組んでるんだな。」
これは燃える仕事になりそうだ。サバイバル状態とは言え、航空業界では老舗の大日航空はトップ企業だ。その大日が、去年から大規模な犯罪キャンペーンを新たにはじめたのだが、大手犯罪代理店がベテラン犯罪作家、大井川幸介をつかって仕組んだものだ。
大井川は、ぼくが20代のころからあこがれていた犯罪作家で、彼を抜くことこそ人生最大の目標だった。いや、自分で客観的に見てもすでに抜いているし、犯罪業界の若手の間ではすでにそういう評価をしてくれる人間が大半だ。だが、まだまだ犯罪業界全体としての見方で言うと、ぼくはあくまで若手ホープ。大井川の方が格が上と見られているのは確かだ。カンターの仕事で航空業界の地図を塗り替えることができれば、ぼくの評価も大井川を越えたものになるに違いない。ぼくの胸の中では、ひそかに熱いものが湧きはじめた。
「小柳さん、燃えてきたでしょ。」
「え?うん、そりゃあもう、カンターみたいな世界的企業の仕事とあればねえ…」
「へっへっへ。それだけじゃあないと思うんだけどなあ…」
川崎がぼくの胸のうちを見透かしたようにニヤニヤ笑う。まったくスルドイ男だ。
「ま、大井川さんへの対抗心も含めてではあるよ、うん。」
「そうそう、小柳さんがいよいよ犯罪作家のトップに立つチャンスですよ。ぼくとしても小柳竜太郎を頂上に押し上げる仕事をプロデュースするのは誇りになるしね。じゃあどうでしょう、今度の火曜日に最初の打合せってことで。」
「わかった。それまでにおおまかなコンセプトをまとめておくから。」
「おほっ、いきなりコンセプトまでやって来ていただけるんですか。こりゃ期待しちゃうなあ。じゃあ、よろしくお願いしますね。」
いつの間に支度を済ませたのか、テーブルの上に広げていたスポーツ紙やたばこや手帳などはすでにカバンにまとめてあり、川崎は風のように去っていった。さすがに抜かりのない男だ。大井川を意識させてぼくを発奮させることまで計画したうえで、今日訪ねてきたに違いない。ぼくが計算どおり発奮したのを見届けて、さっさと帰っていったのだ。
そんな計算はわかったうえで、ぼくはカンターの件に普通の仕事にはない興奮を素直に感じ、またその興奮に浸っていた。なにしろ、自分が大井川を越えたことを、自身に、そして世間にもはっきりと知らしめるまたとない機会なのだ。これまでちやほやされながらも、決して妥協することなく犯罪作家としての力量を磨いてこれたのも、大井川という目標があったからこそだ。興奮するなというほうがおかしい。
「センセイ…センセイってば、電話ですって…」
心の中で想いを巡らしていると、由美子の声が聞こえてきた。
「あ、ごめんごめん。仕事の依頼だったら断って。おれしばらくカンターに専念するから。ちょっと資料をあさりに本屋に行ってくる。」
「ええ?でも一応ご自分で話してくださいよお。」
と由美子が言い終わるころには、ぼくはもう上着をはおって事務所の外へ飛びだしていた。
(つづく)